【特別寄稿】作家・閻連科:この厄災の経験を「記憶する人」であれ
NEVER FORGET
中国はこれまで数々の「人災」を忘れ去ってきた(雪の武漢市内) GETTY IMAGES
<ノーベル文学賞候補の「中国で最も論争の多い作家」が説く新型コロナウイルスの経験を忘れる愚かさと恐ろしさ。「中国では発表できない」として、本誌「新型肺炎 何を恐れるべきか」特集(3月10日号)に寄せられたメッセージを全文公開する>
「李文亮のような『警笛を吹く人』にはなれないのなら、われわれは笛の音を聞き取れる人になろう」
──閻連科
李文亮(リー・ウェンリアン)とは、昨年末から原因不明の肺炎患者の増加に気付いて感染拡大の警告を発したことで処分を受け、その後自らも感染して亡くなった30代の武漢在住の眼科医である。
閻連科(イエン・リエンコー)は、村上春樹に次ぐアジアで2人目のカフカ賞受賞作家で、ノーベル文学賞候補としても毎年のように名前が挙がる、世界中で読まれている中国の作家だ。日本でも『人民に奉仕する』『愉楽』『炸裂志』など少なからぬ翻訳が刊行されており、ファンは多い。中国ではたびたび作品の出版や再版が差し止められ、講演やインタビュー、発言にも制限を受けるなど「最も論争の多い作家」と呼ばれる。
この文章は、閻連科が教鞭を執る香港科技大学の学生らに向けたオンライン授業の原稿で、授業に先立って「中国国内では発表できないものだが、日本語に翻訳して多くの人に読んでほしい」と送られてきた。
繁体字版は香港メディアで既に発表されている。だが、中国国内では簡体字版が複数の自媒体(セルフメディア)、個人によってものすごい勢いで転載と当局によるブロック、削除を繰り返している。それでも少なからぬ中国の人々が読んで共感し、さらに多くの人に転送され、読まれ続けている。
本当のことを言えば処分を受け、事実は隠蔽され、記録は改ざんされ、やがて人々の記憶から忘れられていく──。閻連科が学生たちに語らずにはいられない中国の歴史的悲劇は、日本人にとって「体制の違う隣国のこと」なのだろうか。われわれ日本人こそ、いま起こっていること、これから起こることを、しっかりと見つめ、記憶し、後世の人々に伝えなければならないのではないか。
──泉京鹿(翻訳家)
学生諸君
本日はわが香港科技大学研究生(大学院生)のオンライン講義の初日ですが、授業の前に、少し別の話から始めさせてほしい。
子供の頃、私が同じ過ちを2度、3度と繰り返すと、両親が私を自分たちの前に呼び付け、私の額を指さして言ったものでした。
「おまえに記憶力はあるのか?」
国語の授業で何度繰り返し読んでも暗記できないとき、先生は私を立ち上がらせ、みんなの前で問いただしたものでした。
「君に記憶力はあるのか?」
記憶力は記憶の土壌であり、記憶はこの土壌に生長し、広がってゆきます。記憶力と記憶を持つことは、われわれ人類と動物、植物の根本的な違いです。われわれの成長、成熟の最初の要求です。多くの場合、それは食べること、服を着ること、息を吸うことよりも重要だと私は考えています。なぜならわれわれが記憶力や記憶を失うとき、料理をすることも、畑を耕す道具も技術も失っているはずだからです。ある夜ふと目を覚ましたが、どこに服を置いたか思い出せない。皇帝は服を着ているより、服など身に着けていないほうがずっと美しいと思い込む──。