トルコ軍がシリアに「ヒステリックな攻撃」を加えた理由とロシアの狙い
履行されなかったプーチンとエルドアンのソチ合意
続いて2018年9月、ヴラジミール・プーチン大統領とレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はロシアの避暑地ソチで会談し、新たな合意を交わした。ソチ合意と呼ばれるそれは以下4点を骨子とした。
●緊張緩和地帯第1ゾーンの境界に幅15〜20キロからなる非武装地帯を設置する(地図3)。
●2018年10月10日までに非武装地帯からすべての当事者が戦車、多連装ロケット砲、大砲、迫撃砲を撤去する。
●10月15日までに非武装地帯内から「テロリスト」を排除する。
●年末までにアレッポ市とラタキア市を結ぶM4高速道路と、アレッポ市とハマー市(さらには首都ダマスカス)を結ぶM5高速道路を再開する。
だが、ソチ合意は履行されなかった。反体制派が「合法的な反体制派」と「テロリスト」に峻別されなかったからだ。それは、トルコが責任を果たさずに抗ったためと見ることもできたし、ロシアがトルコに実現不可能な無理難題を押しつけて追い込もうとしたためとも解釈できた。
いずれにせよ、シリア政府とロシアは、ソチ合意に見切りをつけるかたちで、2019年4月末から反体制派への攻撃を激化させた。反体制派は5月、シリアのアル=カーイダであるシャーム解放機構(旧ヌスラ戦線)、トルコが支援する国民解放戦線(その後「Turkish-backed Free Syrian Army(TFSA)」と称される国民軍に合流)、そしてかつてバラク・オバマ前政権が支援してきた「穏健な反体制派」のイッザ軍などが「決戦」作戦司令室を結成して対抗した。また、新興のアル=カーイダ系組織であるフッラース・ディーン機構、アンサール・タウヒード、そして中国新疆ウィグル自治区出身者を主体とするトルキスタン・イスラーム党も「決戦」作戦司令室と連携した。
シリア情勢をめぐっては、「反体制派」という言葉が多用され、「(独裁)政権軍」と対照されることで、ポジティブなイメージを醸し出してきた。だが、その中核をなしていたのはアル=カーイダだった。
歯車が狂い始めたロシアとトルコの取引
シリア・ロシア軍は、2019年8月までにハマー県北部のムーリク市、カフルズィーター市、イドリブ県南部のハーン・シャイフーン市一帯を制圧することに成功した(地図4)。これもまた、トルコへの見返りを念頭においた戦果であるかのように思えた。同年10月、ドナルド・トランプ米政権の(2度目の)部隊撤退決定を受けて、トルコ軍が3度目の侵攻作戦となる「平和の泉」作戦を開始し、ロシアもこれを黙認したからだ。
しかし、この頃からロシアとトルコの取引の歯車が狂い始めた。
トルコは、「平和の泉」作戦によって、国境地帯に幅30キロの安全地帯を設置し、そこからPYD(より厳密に言うと人民防衛隊(YPG)を主体とするシリア民主軍(SDF))を排除し、占領下に置こうとした(地図5)。だが、ロシアが停戦を仲介したことで、作戦は中途半端なかたちで終了、トルコが占領できたのは、タッル・アブヤド市(ラッカ県)一帯とラアス・アイン市(ハサカ県)一帯に限られた。それ以外の地域には、ロシア軍だけでなく、シリア軍が展開した(地図6)。
ただし、消化不良だったのは、ロシアも同じだった。なぜなら、「オリーブの枝」作戦の時と同様、ロシアは国境地帯へのトルコの勢力拡大を黙認することで、緊張緩和地帯第1ゾーンにおける反体制派支配地を縮小しようとしていたからである。シリア政府とロシアが、反体制派を峻別しようとしないトルコへの批判を強め、2020年1月下旬に、反体制派への一大攻勢を開始した背景には、こうした事情があった。
シリア・ロシア軍が狙ったのは、緊張緩和地帯第1ゾーン第2地区だった。その目的は復興を軌道に乗せることにあった。