2600年前の脳がそのままの状態で保存されていた ......その理由は?
なぜヒトの脳組織がこれほど長期にわたって保存されていたのか ...... Dr Axel Petzold
<2008年にイギリスで発掘された2600年前のヒトの頭蓋骨には、脳がそのままの状態で保存されていた。その原因が研究されている ......>
2008年8月に英ヨークシャー州ヘスリントンで発掘された2600年前のヒトの頭蓋骨から、脳組織が見つかった。紀元前673年から482年のものとみられている。
8割を水分が占める脳は、死後、他の器官に比べて自己融解が速く、36時間から72時間以内に分解がはじまって5年から10年以内に頭蓋骨だけになる。それゆえ、なぜヒトの脳組織がこれほど長期にわたって保存されていたのかは謎に包まれていた。
タンパク質が凝集したことが安定性に寄与した
英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)を中心とする国際研究チームは、2600年前の脳組織のタンパク質を分析し、2020年1月8日、英国王立協会の学術雑誌「ジャーナル・オブ・ロイヤル・ソサエティ・インターフェイス」でその研究成果を発表した。
これによると、タンパク質が凝集したことが長期にわたるタンパク質の安定性に寄与し、タンパク質のエピトープ(抗体が認識する抗原の一部分)は、2600年間、自然の外気温にさらされ続けても、高い免疫原性(免疫応答を引き起こす能力)を保持していたという。
繊維状のタンパク質を束ねたような形状をなす細胞骨格「中間径フィラメント(IF)」は、脳を細胞レベルで支持する役割を担い、適切な環境下では、細胞が分子灰になった後も、元のままの状態を保持できる。
研究チームが脳のタンパク質の凝集体から中間径フィラメントを分離し、顕微鏡で検査したところ、この中間径フィラメントは、生きている脳のものと類似した形状で、かつてニューロンの尾部を支えていたことがわかった。
また、このタンパク質の凝集体では、神経細胞の細胞体が存在する「灰白質組織」を識別するタンパク質は少なかった一方、「アストロサイト」など、神経細胞を支えるグリア細胞が不相応に多く確認されている。
比較的温かい温度で結合したタンパク質は、安定した構造となり、安定したタンパク質は、不安定なものに比べて容易に広がらない。研究チームでは、2600年前の脳組織のサンプルと現代の神経組織の標本を遮光空間で1年間保管し、現代の神経組織のタンパク質が分解していく経過を観察し、2600年前の脳組織と比較した。
タンパク質の保存のメカニズムの解明に役立つ
研究チームは、この観察結果をふまえ、2600年前の脳のタンパク質が現代まで保持された理由について「脳の外側から拡散した未知の化合物によって、脳のタンパク質分解酵素『プロテアーゼ』が阻害され、安定した凝集体を形成できたためではないか」と考察している。
この脳の謎はまだ完全に明らかとなっていないものの、タンパク質の保存のメカニズムの解明は、タンパク質バイオマーカーの研究やプロテオーム解析などにも応用できることから、今後の研究にも期待が寄せられている。