90歳迎えたフィリピンのイメルダ夫人 マルコス一族とドゥテルテ一族の関係
マルコス元大統領を英雄墓地に埋葬
2016年に就任したドゥテルテ大統領はマルコス元大統領の遺体をマニラの国立英雄墓地に埋葬するというマルコス一族、支持者の長年の悲願を叶えた。
2016年11月11日にそれまで北イロコス州バタックの実家敷地内に特設された特別霊廟内で冷凍保存されていたマルコス元大統領の遺体はヘリコプターでマニラに運ばれ、国軍兵士の手で丁重に英雄墓地に埋葬されたのだった。この瞬間からマルコス元大統領は同墓地に眠る独立運動などで戦死した兵士らと同じ「国家英雄」となったのだった。
歴代大統領が国民の間に根強い反マルコス感情に配慮して踏み切れなかった懸案をドゥテルテ大統領が英断で解決したことにマルコス一族は大きな感謝を示し、マルコス一族そして熱烈なマルコス支持者はその日を境にドゥテルテ大統領支持者となった。
ドゥテルテ大統領の父親が「マルコス内閣の閣僚を一時務めた」ことが決断の動機とされているが、「フィリピンの歴代大統領ではマルコス氏が一番である」と公言して憚らないドゥテルテ大統領にとって"理想の大統領"として目指しているのがマルコス元大統領であることは間違いない。
「人は誰しもが間違いを犯す。我われは和解するときではないか」とマルコス元大統領の英雄墓地埋葬問題で反対派に呼びかけたドゥテルテ大統領の言葉は、おそらく自分自身に向けた言葉であり、いずれは自分も英雄墓地に埋葬されたい、との願望を込めたものと一般には理解されている。
ドゥテルテ大統領は依然として80%前後の高い支持率を国民から得ている。今回の中間選挙でも上院選に出馬したアイミー・マルコス州知事をドゥテルテ大統領が支援するなど、ドゥテルテ大統領とマルコス一族はいまや蜜月関係にあるといっても過言ではない。
マルコス時代を彷彿とさせる戒厳令
一方でフィリピンで反マルコスの立場を取る人びとはマルコス政権下での戒厳令布告、治安維持の名の下に行われた数々の人権侵害事件への関与を理由に「マルコスは英雄ではない」と主張している。フィリピンで戒厳令といえばマルコス政権の暗黒の時代を連想する年配層も多い。
その戒厳令、実は現在も南部ミンダナオ島の一部地域で継続されている。
2017年5月に同島南ラナオ州のマラウィで地元の反政府武装組織「マウテ・グループ」に中東のテロ組織「イスラム国(IS)」に忠誠を誓うイスラム教過激組織「アブ・サヤフ」のメンバーなどが合流してマラウィを武力占拠、国軍と戦闘状態となったのだ。
ドゥテルテ大統領は事件発生直後に同地域一帯に戒厳令を発令し、治安回復に全力を挙げた。同年10月にマラウィは解放され、武装組織は壊滅に追い込まれたとされているが、治安当局はなお残党がミンダナオ島の別の地域で再興を図っていると分析。さらに海路で隣国マレーシアやインドネシアに逃走する可能性があるとして戒厳令は依然として継続されているのだ。
発令から既に2年が経つ戒厳令は、議会や人権団体などから「継続の理由」を度々指摘されているが、ドゥテルテ大統領は「治安維持とテロ封じ込めのために必要」との立場を崩していない。
麻薬対策でも強硬姿勢を貫く
こうしたドゥテルテ大統領の治安維持にかける強硬な姿勢は、政権発足直後から取組み始めた麻薬犯罪対策でも示され、超法規的措置による麻薬犯罪容疑者の殺害は国際社会から厳しい批判を浴びている。
国連人権委員会などの調査要求に対しドゥテルテ大統領は7月12日「国際社会はフィリピンが直面する麻薬問題の実態を知らない。フィリピンの内政問題に関わらないでほしい」と訴えた。こうした強い姿勢の背景に国民の高い支持率があるのは間違いないが、麻薬対策では捜査に巻き込まれて3歳の少女が死亡するなど痛ましい事件が発生し、治安当局への風当たりが強まっているのも事実だ。
こうした麻薬対策、治安対策でのドゥテルテ大統領の強硬策は、戒厳令を布告して反政府勢力や民主化を求める学生運動家への弾圧を繰り返したマルコス元大統領の強硬策を彷彿とさせる。さらにファミリーの政界進出という点でもドゥテルテ一族はマルコス一族と同じような動きをみせている。
ドゥテルテ大統領の長女サラ・ドゥテルテさんはミンダナオ島ダバオの市長に再選し、中間選挙で長男パオロ・ドゥテルテ氏はダバオ副市長からダバオ選出下院議員に当選したほか、次男パステ・ドゥテルテ氏はダバオ副市長に当選した。
こうした傾向のドゥテルテ一族の政界進出、躍進にマルコス一族の姿を投影する国民も多くなってきている。
こうした動きの中でマルコス一族は絶大な人気を誇るドゥテルテ大統領を影響力維持のために利用し、ドゥテルテ大統領は自らが理想とし範とするマルコス元大統領像に近づくためにもマルコス一族の根強い一部の支持を利用、というもちつもたれつの関係こそが今のフィリピン政界の実情といえるだろう。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など