シリアのイドリブ県で戦闘が激化するなか、政府軍が再び化学兵器攻撃か?
戦闘が激化するシリアのイドリブ県 ARAB24/Reuters TV
<シリア軍が化学兵器を使用したと報じられたが、その狙いは何だったのか。シリアで使用される化学兵器は、軍事的効果以上に政治的効果を狙ったものであることだけは明らかだ......>
シリア北部のラタキア県で5月19日、シリア軍が化学兵器を使用したと報じられた。新たな攻撃が行われたとされるのは、イドリブ県との県境に位置するクルド山地方カッバーナ村のクバイナ丘で、攻撃に使用された砲弾3発には塩素と思われる有毒物質が装填されていたという。
第一報を伝えたイバー・ネットとは?
ニュースはイバー・ネットを名のるサイトが配信し、反体制系のメディアと活動家がネット上で拡散した。
ベルギーに拠点を置き、シリア軍の化学兵器使用を追及してきた反体制系NGOの化学兵器違反記録センター(CVDCS)も、複数の目撃者や医師の証言として、砲弾が爆発した直後に黄色の煙が上がり、少なくとも4人が目の充血や呼吸困難といった症状を訴えたとする報告書を発表した。
このうち、イバー・ネットはシャーム解放機構に近いとされるサイトである。このシャーム解放機構が何者かについては、シリア内戦への関心がすっかり低下するなかで、忘れられてしまっているかもしれない(あるいは、そもそもその存在さえ知られていないかもしれない)。だが、彼らこそがシャームの民のヌスラ戦線、すなわちシリアのアル=カーイダの後身組織だ。
シャーム解放機構はテロ組織か?
ヌスラ戦線はそもそもはイラクのアル=カーイダであるイラク・イスラーム国のフロント組織として活動を開始した。2013年4月に彼らと袂を分かったイラク・イスラーム国が、イラク・シャーム・イスラーム国(ISIS、ISIL、2013年4月)、さらにはイスラーム国(2014年6月)に名を変え、アル=カーイダから破門(2014年2月)を言い渡されたのとは対象的に、ヌスラ戦線は当初、アル=カーイダに忠誠を誓い続けることで存在を誇示しようとした。
だが2016年7月、いわゆる自由シリア軍諸派との共闘を強め、劣勢を打開するためにアル=カーイダとの絶縁を宣言、組織名をシャーム・ファトフ戦線に変更した。さらに2017年1月には、バラク・オバマ前米政権の支援を受けていた「穏健な反体制派」と糾合し、現在の組織名、すなわちシャーム解放機構を名のるようになった。
シャーム解放機構を国際テロ組織アル=カーイダとみなすことについては賛否両論がある。オバマ前政権は2012年12月に、ヌスラ戦線をFTO(外国テロ組織)に指定、国連も2013年5月にアル=カーイダ制裁委員会リストに追加登録した(いずれも当初はアル=カーイダの別名として登録)。
だが、欧米諸国が長らく「シリア国民の唯一の正統な代表」とみなしていたシリア国民連合(連立)をはじめとする反体制派のなかには、「もっとも成功した反体制派」(The Washington Post, November 30, 2012)だったヌスラ戦線をテロ組織とみなすことに異議を唱える者が少なくなかった。
シャーム解放機構は、名称変更後もしばらくはテロ指定を免れた。だが、米国務省は2018年5月、シャーム解放機構をFTO、SDGT(特別指定グローバルテロ組織)に指定(ヌスラ戦線の別名として登録)、トルコも同年9月に彼らをテロ組織とみなす政令を施行した。国連のアル=カーイダ制裁委員会リストにも、シャーム解放機構はヌスラ戦線の別名として登録されている。
社会通念上、そして国際法上、シャーム解放機構はアル=カーイダで、国際テロ組織とみなし得ると断言してよいだろう。