メディアで報じられない「金と欲」に翻弄された東日本大震災被災地の現実
さらに見逃すべきでないのは、被災地から逃れてきた原発避難者と、いわき市民との扱いの違いだ。いわきに逃げてきた原発避難者たちが手厚く扱われる一方、当のいわき市民はあらぬ噂に悩まされ続けたというのである。
もちろん、いわき市民でも県外に脱出した人もいたが、いわきの風評被害が一番ひどい時は県外に行くと、汚染された車両を恐れての事か「いわきナンバーお断り」の貼り紙を目にすることもあった。完全な被災者差別であり、泣きたくなるほど悲しい気持ちになったことも一度や二度ではない。
対して、避難区域の人たちは、逃げて来たいわき市において、そのような差別を受けることはなかっただろう。なぜなら、いわき市民自体が風評被害による差別を感じているぶん、同じ境遇である避難区域の人たちを差別するとは考えにくいからだ。同じ被災者でも、いわき市民と、避難区域の方々は、根本的に違うのである。
後の軋轢の根っこがここにある。(29ページより)
しかもその軋轢は、賠償金を巡ってさらに泥沼化する。その原因は政府が震災直後、立ち入り禁止エリア(避難指示区域)とそうでない場所(自主避難区域)に分けたことだ。しかし当然のことながら、やがていわき市民の中から、「政府が決めた立ち入り禁止エリアは、本当に科学的な根拠に基づいたものだったのだろうか?」という疑問が湧き上がってくることになる。
ご存じの方も多いと思うが、政府は震災当時、丸い円を描くようにして立ち入り禁止エリアを設定していたのだ。
▼避難指示区域(立ち入り禁止エリア)
原発〜20キロ圏内
原発20キロ超〜30キロ圏内
▼自主避難区域(立ち入りは自由なエリア)
原発30キロ超〜(30〜31ページより)
だがその後、SPEEDI(緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム)によるデータ分析の結果、原発付近のみならず、北西方面も被爆の危険が出てくる。そうでなくとも、風によって放射性物質があちこちに飛散しているのなら、丸い円で「危険エリア」を区切ること自体が不自然だ。
そこで、
〈政府や東電としても、立ち入り禁止エリアの区切りが後に原発事故賠償基準に直結することを考慮した場合、大勢の人間を補償の対象としてしまう事は出来なかった理由による政治的線引きだったのであろうか>
という見立てが出てきたのだ。(31ページより)
この境界線が、そのまま賠償金の支払い基準になった。仮に境界線の範囲が広がれば、それに比例して賠償金も増える。すると東電は深刻な経営危機に陥り、日本経済にも大打撃を与えかねない。そこで政府は、最悪のシナリオを避けるため、賠償金を抑えるギリギリのところで線を引いたのではないかというわけだ。