メディアで報じられない「金と欲」に翻弄された東日本大震災被災地の現実
本書において著者は、復興の一端を担う被災地の住宅メーカー社員としての立場から、被災地の問題を伝えている。つまり中立な視点で、実際に見知ったことだけを明らかにしているのである。その結果として浮き彫りになっているのは、震災マネーによって価値観が一変した人たちの姿である。
また住宅メーカー社員であるということだけでなく、客観性の軸となった重要なポイントがもうひとつある。著者が福島県いわき市に暮らしていたことだ。
福島県でも太平洋に面するいわき市と、そこから先の相双(そうそう)地区は「浜通り」と呼ばれる地域。東日本大震災による建物の倒壊、津波と原発事故により、多くの被災者を生み出した。
いわき市は人口34万人の都市で、高度経済成長期まで本州最大の炭鉱である「常磐炭鉱」のある町として栄えた。また、小名浜港などにより漁業で発展した町でもある。
映画『フラガール』の舞台にもなったスパリゾートハワイアンズ(旧常磐ハワイアンセンター)がある観光地としても有名だが、これは東北のなかでは年間の日照時間が最も長いことに由来する。夏は内陸より涼しく冬は暖かいので、「東北のハワイ」と呼ばれてきたのだ。
のちに、この温暖な気候と、何より南北に通じる=被災地にアクセスしやすい国道6号線が通じていたことが、いわき市の命運を変えていく。
原発事故によって立ち入り禁止となったエリア(原発から30キロ圏内)から避難してきた住民、いわゆる原発避難者が、一時帰宅(政府の許可が出た日に一時的に帰宅できる制度)の際にアクセスしやすい環境もあり、いわき市に移住。結果、多くの被災者を受け入れる事となったのだ。(14〜15ページより)
いわき市は福島第1原発から40キロの位置にあるが、原発事故後は風評被害に遭うことになる。「いわき市は放射能に汚染されている」などという情報が流れたため、「いわきには入るな!」と指示されたドライバーたちは茨城県の日立市やいわき市勿来町(茨城県と福島県の県境でもあるいわき市最南端の町)で引き返してしまう。その結果、ガソリンや食料などすべてのものの流通が遮断されたのだ。
マスコミやメディアの人間も、いわき市に足を踏み入れることに恐怖し、一時期は日本の地図から消された報道の空白地帯となった。例えば、いわき市の沿岸部で壊滅的な津波被害を受けた薄磯(うすいそ)・豊間(とよま)地区は東日本最大級の津波被災地でもあるというが、その事実はほとんど報道されていない。
そんな状況下にあった著者は、震災直後にいちばん苦しい思いをさせられたのは、取り残されたいわき市民だったのではないかと振り返る。避難指示もなく、物資も断絶された状態で「逃げたい人は勝手にしてください。あくまで自主的に」という、なにからなにまでが中途半端な自主避難区域だったからである。