平成から令和へ 3世代が語る日本の歩み「過去と未来」
バブル崩壊
52歳の齋藤賢治さんにとって、平成は劇的な変化と解放、そして新たなチャンスとの出会いだった。
1997年11月、当時システムエンジニアだった齋藤さんは、夜勤明けに出向先の会社で親戚から電話を受けた。「お前の会社、山一証券じゃなかったか」。
テレビをつけると、山一証券が自主廃業を決めたとのニュースが流れていた。「自主廃業って何なのか、意味さえわからなかった」と振り返る。
当時の野澤正平社長が記者会見で「社員は悪くありませんから。悪いのはわれわれです」と号泣しながら社員の再就職先を懇願した映像は、バブル経済崩壊の象徴的なシーンとして、何度も流された。
「山一がつぶれるなんて、だれも思わなかった。まさか、こんな大きな会社がいきなり」と齋藤さんはロイターに語った。
山一破たん後、前の上司の誘いでシステム会社に転職したが、2005年にサラリーマン生活を辞めて、好きなことを仕事にしようと、ラーメン店「ど・みそ」を開業。現在は、支店を10店舗経営するまでに成長した。
バブル崩壊後の「失われた10年」とも言われた景気停滞期は、多くの人にとって暗いイメージだが、齋藤さんは解放されたと感じたという。
「上に言われたことをやるのではなく、自分で考えてできるから、今はストレスがない」。平成という時代に転機が与えられたことは自分にとって良かった、と語った。
将来への不安
大規模な自然災害、技術の進化、そして先行きに対する不安──。これらが早稲田大学の学生・原田百合さん(19)にとっての平成だ。
2011年3月、東日本大震災が起きた時は11歳だった。学校から3時間かけて歩いて帰ったという。「衝撃だった。世の中の出来事で自分の生活がこんなに変わるんだと。学校は打ち切りになり、卒業式も延期になった」と振り返る。
小学生時代、携帯電話はガラケーを使っていて、スマートフォンが欲しかったが「信じられないくらい高いから、買えないと母に言われた」。中学生になり、スマホが安くなったので買ってもらった。「ほんとに技術的な進歩はすごい。それが平成の特徴かな、という感じがする」と原田さんは言う。
日本は今、歴史的な労働力不足に直面しているが、彼女は先行きはどうなるかわからないと不安を感じている。「ちょっと前の世代は、就職氷河期と言われていた。売り手市場がずっと続いてくれたらいいけど、不安に思っている人はたくさんいる」
長期的には、社会が不安定化することが心配だという。4月に日本政府は新たな外国人労働者の受け入れ制度を導入した。しかし、欧州や米国で反移民の声が大きくなっていることが心配で「日本もちゃんとそこを考えてやっていかないと、将来同じようになるのではないかと怖い」と原田さんは話す。
元号が令和に変わり、新たに始まる新時代の見通しについては、「明るく見たいけれど、見れないというのが正直なところ」と語った。
(Linda Sieg, Kwiyeon Ha,宮崎亜巳 編集:田巻一彦)
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