日韓共同宣言から20年 韓国の日本文化開放はどこまで進んだ?
北海道ブームも起こした『ラブレター』
第1次開放から約1年後、待ちに待った2次開放が解禁になった際には、韓国映画振興委員会と国際映画製作者連盟(FIAPF)が認めた83の国際映画祭のうちいずれかの受賞作品であり、またセンサーシップが全年齢観覧可能映画が上映できる条件となった。このため韓国内では、買い付けた映画を上映させるために、国内の映画祭主催者と口裏を合わせて何かの賞に入賞させるという荒業にでた配給会社も多かったという。
この時、公開されたのが韓国で大ブームとなる岩井俊二監督の『ラブレター』である。韓国では1999年11月20日に公開され若者を中心に大ヒットした。当時韓国に旅行した多くの日本人が、突然「お元気ですか〜?」と日本語で声を掛けられてびっくりした経験をしたという。これは映画『ラブレター』の中で主人公の中山美穂が叫ぶ名セリフである。いまだに韓国人に知っている日本語を聞くと「こんにちは」や「ありがとう」と並んで「お元気ですか?」を挙げる人が多い。
また、この映画のヒットによって映画の舞台になった北海道への韓国人のロマンが高まり、その後北海道ロケをする韓国撮影隊が続出した。韓国のプロモーションビデオやCM、また韓国映画に登場する日本の舞台が北海道が多いのはやはり『ラブレター』の影響だろう。
第3次開放は、第2次からわずか9か月後に実施された。映画祭未受賞作品もR-18以外のすべての日本映画が上映可能となった。このあたりから日本映画が大量買い付けされ、様々なジャンルが公開されることになる。完全開放(第4次開放)となったのは2004年。それまで国際映画祭受賞作品のみ公開可能だった劇場用アニメーションも2006年の1月に全面開放になった。
3次から4次まで多少時間がかかったのは、2001年7月に日本の歴史教科書問題が勃発し、一時中断されたせいだ。筆者もこの時期には韓国に住んでいたが、市場で買い物をしていたら見ず知らずの店員やタクシーの運転手にこの件に関してどう思うかを聞かれたり、日本への怒りなどを何度か聞かされた覚えがある。このように文化開放と日韓の政治問題は密接に結びついている。