新世代の独裁者が跋扈する「アラブの冬」がやって来た
The New Arab Winter
エジプトとの長年の関係を断絶するわけにいかない米政権は、シシの軍事政権を既成事実として受け入れた。ムスリム同胞団をテロ組織と見なすサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)は、これを機に彼らを「根絶すべき」だと米政権に主張。シシはそれを実行し、同胞団支持の市民ら数百人を虐殺した。
アサドの化学兵器使用に際して、オバマは軍事介入の決断を議会に委ねた。結局、その後何年も化学兵器攻撃は続いた。同時にオバマ政権はシリア反体制派に水面下で最低限の支援を続けたが、これは内戦の泥沼化を招いた。オバマはアサドの正統性を否定し、退陣すべきと発言したが、その一方でアメリカの政策がそれを不可能にした。
アメリカがアラブの春の「死」を黙認した背景には、2つの要因があった。1つはオバマ政権中枢に広がっていたシニカルな現実主義。もう1つは、アラブの春を自国の体制への脅威と見なすサウジアラビアとUAEからの猛烈な圧力だ。
両国政府はシシとその支持者らに巨額の資金援助をするなど、あらゆる手を駆使してエジプトの民主化運動を妨害した。アラブの春とそれによって力を得たイスラム勢力への嫌悪感を募らせるあまり、ムスリム同胞団に対するオバマ政権の生ぬるい寛容ささえ陰謀だと糾弾した。
だが、その指摘は間違いだ。アラブの春が吹き荒れた11年はアメリカがアラブ世界との関係を見直す歴史的なチャンスだったし、13年は中東における新たな独裁者の台頭を食い止める最後のタイミングだった。
しかし、オバマ政権はどちらのチャンスも逃した。オバマは09年にカイロ大学での演説でイスラム世界とアメリカの関係の「新たな始まり」を呼び掛け、世界各地で人権擁護を訴え続けたが、結局は現実主義に甘んじてしまった。
国家の悪行を見逃すな
15年にムハンマドがイエメンへの空爆を始めたときも、オバマ政権はサウジ側を支援した。いま思えば、ムハンマドの危険な暴走の最初の兆候だった。
一方、ドナルド・トランプ米大統領は娘婿でムハンマドと強い絆を持つジャレッド・クシュナー上級顧問のルートを介して、安定した関係を確保することに専心してきた。昨年11月にサウジ当局がレバノンのサード・ハリリ首相の身柄を一時拘束した際も、女性の運転解禁に先立って人権活動家らが弾圧された際も、米政府が失望を表明することはなかった。
サウジアラビアが国外で亡命者の身柄を拘束して自国に連れ帰る行為を長年繰り返してきたことについてさえ、アメリカは見て見ぬふりをしてきた。カショギも誘拐の最中に手違いで殺害されたとの指摘があるが、これまでの経緯を考えれば、そうした事態は予測できたはずだ。