TBS松原耕二が書いた、翁長知事への「別れの言葉」
本音を言わない
翁長知事はどんな人物だったか。政治家としての軌跡についてはすでに多くの方が記しているため、私は自分の耳で聞いた翁長氏の言葉をたどることで、彼の芯にあったものを見つめたいと思う。
「私はいびつな人間になってますから」
4年前、知事に当選した日の深夜、翁長氏は私にそう漏らした。祭りのあとの静けさに包まれた選挙対策本部でのことだった。私が当選後の気持ちを尋ねると、翁長氏はさばさばした表情で「感慨もなければ、高揚感もない」と言い切った。3時間ほど前には支持者たちとカチャーシーを踊って喜びを爆発させたではないか、その時ですら冷静だったのかと問うと、彼は肯いて言ったのだ。自分はいびつな人間になっているからと。
それは父と兄が政治家という一家で育ち「子どものころから選挙の熱気も、終わったあとのさびしさも十分すぎるほど味わってきたからだ」と翁長氏は言う。そして「父と兄は選挙で8勝7敗、自分は9連勝だけどね」と付け加え、「翁長家としては17勝7敗か」と笑った。
小学校6年生のときに「那覇市長になる」と宣言して、クラスメイトを驚かせて以来、翁長氏は政治家として生きると定めてきた。その結果「政治っていうものは私のすべてなんです」と言うまでの心境になったのだ。
「政治家としては超プロですよ」
稲嶺恵一元知事は翁長氏を評して言う。
「子どものころから鍛えられて、意識して物事を見て、判断して、しゃべってたんだと。だから口数は多いけど、余計なことは一切言いません」
「本音も?」と私は尋ねた。
「もちろん」
稲嶺氏と翁長氏は同じ門中だ。門中とは同じ祖先を持つ一族のことで、その結びつきは本土よりはるかに強い。しかも稲嶺氏を知事にかついだのも、自民党沖縄県連幹事長時代の翁長氏だった。つまり公私共々、深い関係にある。その稲嶺氏が、翁長氏は余計なことは一切言わないから、本当は何を考えているかわからないと言うのだ。
「小学校のときから政治家を目指していた人は違うんじゃないですか。軸を信念として持っている。それは読み取れないですよ」
「それは近くにいらっしゃっても分からない?」と私は尋ねた。
「わからないです。全然わからない」と稲嶺氏は首を横に振った。
自分は何者なのか。どう自己規定するかで、人の生き方は大きく変わっていく。
稲嶺氏は沖縄県知事を2期つとめたとはいえ、本籍は「経済界」であり、仲井眞弘多前知事も通産省官僚と経済界という流れの先に政治が付け加わった。大田昌秀元知事にも「研究者」という本業があった。しかし翁長氏に帰る場所はない。政治家であるという強烈な自己規定が、彼の人生の軸を形作ってきたのだ。