偉大な保守の政治家、翁長雄志氏の愛国心
日本記者クラブで米軍基地問題について会見したときの翁長沖縄県知事(2015年5月20日)Yuya Shino-REUTERS
<ひたすらアメリカに追従することを=愛国、保守とはき違える本土の「自称保守」よりも、翁長こそ本物の保守だった>
沖縄と本土、ねじれる保守の姿
「銃剣とブルドーザー」。1945年6月、沖縄の日本軍守備隊(第32軍)が玉砕して以降、沖縄を占領した米軍が沖縄県民の意思と全く関係なく、県内に基地や施設を強制的に建設していった事実を形容するフレーズである。
1972年の沖縄日本復帰まで、米軍は琉球政府という間接統治の形を取りながらも、最終的な意思決定者として絶対的な権勢を以て沖縄に君臨してきた。本土復帰後も遅々として進まない在沖縄米軍基地の返還と縮小に対し、沖縄県民は一貫して中央政府と、米軍に対して抵抗してきた。
沖縄の先祖からの土地を米軍から取り戻す―。沖縄の先祖からの土地をこれ以上米軍に渡さない―。沖縄における反基地運動を支える根本的なこのような姿勢を評するに、これ以上の愛国的、保守的姿勢は無いだろうと思う。
にも関わらず、ひたすらアメリカに追従することを=愛国、保守とはき違える本土の「自称保守」は、沖縄県のこのような悲痛な先祖からの土地回復の叫びを売国奴、左翼=パヨクだのと罵っている。
あまつさえ本土の「自称保守」は、沖縄の反基地運動が中国や韓国といった諸外国からの工作員が混じっているとか、反基地運動にある種の政治団体からの日当が支払われている―等のデマを地上波で堂々と放言し、その余りにも嘘と捏造にまみれた番組内容がBPO案件になるなどの騒動に発展している。
沖縄の先祖からの土地を米軍から取り戻す―。沖縄の先祖からの土地をこれ以上米軍に渡さない―。という沖縄の反基地の姿勢と、沖縄の無辜の市民10万人に鉄の暴風を降らせたアメリカ軍を賛美し、ひたすら反基地運動を売国奴と罵る本土の「自称保守」。どちらが本物の愛国者であり保守なのか。後世、歴史の審判が下るときが来るであろう。
翁長雄志氏の揺るがない愛国心―那覇市庁舎に日の丸掲揚
偉大な保守の政治家、翁長雄志氏(以下敬称略)が闘病の末死去した。辺野古新基地反対の急先鋒として、沖縄県民と友に戦った希有の保守政治家であった。
翁長は、1950年、現那覇市に生まれた。父・翁長助静(すけしず)は現那覇市市長などを歴任し「現実的には米軍基地が無ければ、沖縄経済は回らない」というリアリストであった。翁長の兄・助裕(すけひろ)は沖縄県議会議員、沖縄県副知事を務めた。両者とも自民党議員で、翁長はこうした保守政治家一家の三男として生まれたのである。