フィリピン現職市長暗殺 強硬な麻薬対策の一方で自身にも疑惑が
政敵打倒の手法としての暗殺
フィリピンでは1983年8月に反マルコス大統領運動の象徴的存在で、追放先の米国からの帰国時にマニラ国際空港で殺害されたニノイ・ベニグノ・アキノ氏の暗殺事件は世界的ニュースになった。この事件はマルコス独裁政権を打倒する民主化運動の契機となり、フィリピン現代史は大きく動いた。
2009年11月23日にはミンダナオ島マギンダナオ州で翌年の知事選の立候補届け出に向かう一行が対立候補に雇われた私兵集団に襲撃され、同行していたマスコミ32人を含む57人が殺害される凄惨な事件も起きている。
新しいところでは2018年5月14日にフィリピン全土約42000のバランガイ(最小の行政組織)の議長などを選ぶ選挙では候補者ら少なくとも33人が対立候補などから選挙期間中に殺害されている。
このようにフィリピンには選挙などに関連して政治的に問題解決を図る手段の一つとして「暗殺」が行われる風土がいまだに残っているという現実がある。
大統領府のハリー・ロケ報道官はハリリ市長暗殺事件について「ハリリ市長の家族にお悔やみを申し上げる。このような暴力は許させず、迅速な捜査で犯人に法の裁きを受けさせることが大事だ。現段階で暗殺と市長の麻薬疑惑を結びつけるのは早い」とコメントした。だが、野党のフランシス・パンギリナン上院議員は地元紙に対して「このこと(ハリリ市長暗殺)こそが麻薬犯罪容疑者への超法規的殺人のいい例である」と指摘し、ドゥテルテ政権が国際社会の批判に耳を貸さずに継続している麻薬犯罪の現場での射殺を含む強硬な取り組みへの疑問を示した。
ドゥテルテ大統領は事件を受けて「麻薬の犯罪者を行進させたりしたが、実は市長自身が行進するべきだった。彼の死は麻薬関連によるものだと疑っている」と述べ、ある意味当然の死であるとの見方を示した。
地元警察は事件発生直後から同市周辺道路に検問所を設けて犯人の行方を追っているが、これまでのところ犯人に結び付く手掛かりはないという。ただ、ハリリ市長が麻薬関連犯罪容疑者には強硬な姿勢を続けたのは、自身が麻薬に関与しそれを隠ぺいするためで、麻薬組織から「裏切り者」として狙われた可能性を指摘する声も出ている。
ハリリ市長はその強硬な姿勢から「殺すぞ」という脅迫を以前から受けていたとされ、麻薬関連の犯罪との関連を警察は慎重に調べている。
[執筆者]
大塚智彦(ジャーナリスト)
PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など