サウジ「改革派」皇太子に期待し過ぎるな
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改革に突き進むムハンマド皇太子に性急すぎるという声も上がっている(3月7日、ロンドン) Simon Dawson-REUTERS
<欧米にもてはやされた独裁者たちの見果てぬ夢――抑圧的支配による民主的改革という矛盾>
「中東の狂犬」ことリビアのムアマル・カダフィ大佐は2000年代半ばに国際的孤立から脱し、主要な欧米メディアは彼を共感できる人物として報じるようになった。一方で、彼のトップダウンの改革が従来の暴力による支配と変わらないことは、ほとんど注目されなかった。11年のリビア内戦でカダフィが死亡した後は、混乱と残虐な暴力が国中を打ちのめしている。
カダフィは、欧米諸国から時期尚早に「改革者」ともてはやされた中東の指導者の典型的な例だ。どういうわけか、このところアラブ世界や欧米で、強権的指導者の人気が高い。
なかでもサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子に関する最近の報道は、国際的な指導者なら誰でも憧れるに違いない。3月7日に皇太子昇格後初の外遊でイギリスを訪れたムハンマドを、テリーザ・メイ英首相は手厚くもてなし、両国の経済的および軍事的関係の強化を売り込んだ。
独裁的指導者の人気が高まっている理由の1つは、ドナルド・トランプ米大統領だ。トランプは、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領、エジプトのアブデル・ファタハ・アル・シシ大統領など「タフガイ」への共感を隠そうとしない。
欧米の政府が他国の支配者を選ぶことはできないが、彼らは独裁者が安定をもたらすという考えを信じているようだ。しかし現実には、強権的支配者は善意のあるなしにかかわらず、優れた実績を残していない。
50年代~60年代、アラブ革命によってエジプトでガマル・アブデル・ナセルが、アルジェリアでウアリ・ブーメジエンが、シリアでハフェズ・アサドが政権に就き、発展と社会改革と国力の増強を約束した。ただし、彼らが築いた国家は、機能したとしても短期間だった。
革命の情熱が薄れ、穏やかな経済成長が尻すぼみになると、その空白を武力が埋めた。彼ら革命指導者の後継者はイデオロギーで世論を動かそうとしたが、中途半端でしかなかった。
「チャベス革命」の末路
そもそも国家制度の構築ほど革命の英雄に無縁なことはない。ブーメジエンによるアルジェリアの独立戦争や、73年にナセルとアサドがイスラエルと戦った第4次中東戦争を、経済発展に必要な過程だったと言うのは無理がある。
その後、エジプトのホスニ・ムバラクや、アルジェリアのシャドリ・ベン・ジェディド、シリアのバシャル・アサドがそれぞれ大統領の座を継いだ頃には政権の正統性が弱まっていた。国が方向を見失いかけた状況では市民を抑圧的に支配する以外に、統制を取る方法はほとんど残されていなかった。