北朝鮮との非核化対話、トランプも「失敗の歴史」繰り返すか?
4月8日、トランプ米大統領は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長(写真)と5月までに会談する意向を示した。韓国特使として訪米中の鄭義溶・大統領府国家安全保障室長が明らかにした。平壌で2017年12月撮影。KCNA提供(2018年 ロイター)
トランプ米大統領は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と5月までに会談する意向を示した、と韓国特使として訪米中の鄭義溶・大統領府国家安全保障室長が8日明らかにした。また、正恩氏は今後、核・ミサイル実験を控えると表明したという。
北朝鮮に核開発の放棄を促してきた過去の外交対話は、同国の度重なる方針転換や米朝対立によって、失敗の歴史を繰り返してきた。これまでの対話の経緯を振り返る。
●6カ国協議(2003年─2009年)
金正恩氏の亡くなった父親、金正日総書記(当時)は2003年1月、1985年に加盟した核兵器不拡散条約(NPT)からの脱退を表明。その3カ月後、核兵器の保有を宣言した。
北朝鮮の核開発計画に平和的な解決を模索する目的で、北朝鮮のほか、韓国、中国、米国、ロシア、日本が参加する第1回の6カ国協議が北京で開催された。
2004─05年にかけて6カ国協議は断続的に開催されたが、北朝鮮はミサイル発射実験を継続した。北朝鮮側は、支援と引き換えに実験などの一時停止を申し出る一方、米国などの「敵対的行為」への懸念を表明することが、いつものパターンとなった。
6カ国協議が中断していた2006年、北朝鮮はミサイル実験を加速させる一方で、米国が核の脅威となっていると批判。当時のブッシュ米大統領が警告を発した。
2007年2月に開かれた6カ国協議で、北朝鮮は、重油提供と引き換えに原子炉を停止すると約束。また、凍結された資産2500万ドル(約26億円)の返還を米国に要請。6月に要求が通り、その1カ月後の再協議に道が開かれた。
だが、その年末までに核開発活動の全てを公表するという、北朝鮮の約束は果たされなかった。
2008年5月、北朝鮮は米国に、テロ支援国家の指定解除を要請。米国は同年10月にこれに応じ、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)核施設の取り壊しを再開した。
2009年、国連の安全保障理事会は、ミサイル実験を行った北朝鮮に対し、制裁強化を表明。それまでも査察に反発していた北朝鮮は、これを契機に6カ国協議からの離脱を表明した。