毛沢東の孫、党大会代表落選――毛沢東思想から習近平思想への転換
実は毛新宇は2008年から全国政治協商会議が開催されるたびに、「毛沢東の孫」という貴重な存在からマスコミが重宝して取材合戦を繰り広げていた。その取材に対して毛新宇は彼の素朴なパーソナリティを発揮し、ネット市民(ネットユーザー)の笑い者となっていく。
たとえば、こんな会話がある。
毛新宇:実は母は私にアメリカ留学を進めていた。なぜならアメリカには非常に多くの毛沢東思想を研究する人がいて、アメリカで毛沢東はジョージ・ワシントンよりも地位が上だって聞いたんだけど、それって、ほんと?
記者:いやー、違うと思いますよ。
毛新宇:ああ、やっぱりそうか...。周りが私を留学させたくないのは、きっと私が海外に行った途端に思想的な変化が起き、中国に戻ってきたくないと思うようになるかもしれないからなんだね。
こんな素朴な、「正直なこと」をまじめに言ったりするものだから、たちまち受けてしまった。ネット市民は拍手喝采で「毛沢東の孫」のインタビューを見ようとする。そのうち、「彼の言葉は、頭脳を通さずに発せられる」と面白がるようになり、娯楽の対象となってしまったのである。
習近平は共産党一党支配体制が危うくなっているため、習近平政権発足以来、毛沢東の威信を借りて人民の心をつなごうとしていた。しかし「毛沢東の孫」がこんなでは、威信も何もあったものではない。習近平自身が笑い者になる可能性がある。
そこで習近平は「去毛化(毛沢東の影響を取り去る政策)」という方向に動き始めた。
毛沢東思想から習近平思想へ
まず表面化したのは、昨年6月、毛沢東記念堂を天安門広場から毛沢東生誕の地である湖南省に移そうという建議が中共中央政治局会議で出されたことである。
その流れの中で、「習近平の核心化」が始まり、至るところで「習近平思想」という言葉を使わせるようになった。
日本のメディアは、これを「権力闘争」だと位置付けているが、それは誤読だろう。
毛沢東思想を残しておくのか、それとも「去毛化」によって習近平思想に切り替えていくのかは、中国の運命の分岐点でもある。
毛沢東思想に基づけば「金儲けはしてはならない」ことになり、改革開放を否定することにつながる。だから習近平は「改革開放を深化させること」をテーマとする「領導小組(指導グループ)」を作って習近平自らが組長となった。これを李克強外しだと日本のメディアは囃し立てた。共青団派と太子党(紅二代)との権力闘争と位置付けるものまで現れて、唖然としたものだ。