教訓は生かされたか? カトリーナ取材記者が見たハービー被災地
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8月30日、米テキサス州ヒューストンで大型ハリケーン「ハービー」の避難所として使われているコンベンションセンターで、カトリーナを体験したリアン・バーバーさんと出会った。カトリーナの教訓は生かされているのか。写真左は、カトリーナの被災地を取材するブライアン・テブノ記者。ルイジアナ州セントバーナード郡で2005年8月撮影。提供写真(2017年 ロイター/Courtesy of Ted Jackson/The Times-Picayune/Handout via REUTERS)
大型ハリケーン「ハービー」から避難してきた約1万人が集まる米テキサス州ヒューストンのコンベンションセンターで、リアン・バーバーさんと話をするうちに、ハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州ニューオーリンズを襲った12年前のちょうどその日、私たちは2人とも同市の第9地区にいたことが分かった。
バーバーさん(36)はかつて、ニューオーリンズの工業水路の東にあるフォーストール・ストリートに住んでいた。当時、工業水路の堤防が決壊し、大量の水が貧困層が暮らす同地区に押し寄せ、壊滅的被害をもたらした。
彼女が発作を起こしたのは絶妙なタイミングだった。
カトリーナがニューオーリンズを直撃する直前、バーバーさんはアップタウンにあるトゥーロ病院に運ばれた。同地区はその後、浸水しなかった数少ない貴重な地域の1つとなる。てんかん持ちで、21歳のときの自動車事故のせいで障害を抱えていたバーバーさんは、入院していなければ洪水で確実に命を落としていただろう。
カトリーナの暴風が最悪な状況を脱したころ、私はアップタウンに近いタイムズ・ピカユーン紙のオフィスから工業水路にかかる橋へと向かった。そこで2005年8月29日の午後、壊滅的な洪水を目にしたのだった。
乗り込んだ民間の救助ボートは、フォーストール・ストリートを抜けながら、人や大型犬、バッグに詰め込まれた猫たちを屋根や2階から救出していた。
「死者が大勢いるだろう」。セント・クロード・アベニューに向かう途中で、ボートの責任者ジェリー・レイズさんは、正確にこう予想した。
バーバーさんは助かったが、天地がひっくり返った心境だった。病院が避難することになったとき、職員がこう言ったからだ。
「安全な場所にお連れします。スーパードームに」
そこで電気も水道もない1週間を過ごした後、バーバーさんはバスでテキサス州ヒューストンに搬送されたという。以来、同市に暮らすバーバーさんは、新たな歴史的洪水のトラウマに直面している。