文在寅政権に問われる、財閥改革の覚悟
そのルーツは植民地時代、とりわけ第二次大戦中に日本が進めた統治政策にある。今日の韓国の4大財閥と同様、当時の日本でも4つの財閥(三井、三菱、住友、安田)が産業界を支配し、政界にも影響力を持ち、部品から兵器や戦車などの最終製品まであらゆるものを製造していた。その強大な力に民衆は不満を募らせていたが、第二次大戦中の最盛期には日本の4大財閥は世界最大級の企業グループであり、最も徹底したヒエラルキー構造を誇っていた。
1910年から戦争終結まで朝鮮半島を統治下に置いた日本は、貧しい君主国だった「大韓帝国」を産業国家に改造しようとした。日本の植民地支配は、フランスがインドシナ諸国に、イギリスがインドに、アメリカとスペインがフィリピンに行った統治よりはるかに徹底していた。今の韓国の財閥の土台を築いたのは日本で教育を受け、日本人の人脈を利用し、日本企業の慣行を学び、戦後に連合国軍の占領下で安く払い下げられた日本企業の在韓資産を元手に事業を始めた人たちだ。
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色濃く残る日本の影響
サムスン(三星)の創業者・李秉喆(イ・ビヨンチヨル)が38年に事業を始めたとき、三菱(3つのダイヤ)は1つの目標だっただろう。
日本では戦後、GHQの占領政策で財閥の解体が進んだが、韓国(と北朝鮮)ではその後も数十年間、旧宗主国から受け継いだ全体主義的な物の見方や慣行の多くが幅を利かせ続けた。
韓国では国民の間に反日感情が根強くあり、98年に解禁されるまで映画やコミックなど日本の大衆文化の流入は厳しく規制されていた。それでも韓国の文化と経済は今も戦前の日本の影響を色濃く受け継いでいる。韓国語のチェボル、つまり財閥という言葉もその1つだ。
製糖と毛織物で財を成し、次第に政界にも影響力を持つようになったサムスンのような企業グループが、戦前の日本の財閥にちなんでチェボルと呼ばれるようになったのは50年代からだ。
61年に軍事クーデターで政権の座に就いた朴正煕は憲法を改正して強大な権限を手に入れ国家再建を目指した。朴は日本陸軍の士官として日本が重工業開発を進めていた「満州国」で軍務に就いた経験を持つ。
日本の旧財閥の華麗な生活ぶりに反感を持っていた朴だが、韓国の財閥は国の経済発展に利用できると考えた。朴政権は企業に輸出額を割り当て、それをクリアできた企業だけに優遇融資を行った。財閥のトップが政権に盾突いたら、彼らの腐敗を暴き、裁判にかけた上で恩赦を与える。政権が財閥トップの生殺与奪の権を握って言うことを聞かせるというこの狡猾な慣行は今も続いている。
現代グループと鉄鋼メーカーのポスコは朴時代に大きく成長を遂げた。だが韓国製品が世界を席巻し、韓国の財閥の名がグローバルブランドとなるのは、79年に朴が暗殺された後だ。
ソニーのウォークマンやトリニトロン、IBMの初期のコンピューターやアップル製品を世界中のメーカーが追い掛けていた時期、韓国の財閥企業は既に一定の技術力を持ち、日米の有力メーカーに部品を提供するまでになっていた。韓国企業はサプライヤーの立場に甘んじることなく、あの手この手で先行メーカーの技術を盗み、ヒット製品を生み出せる開発力を付けた。