風呂に入れさせてもらえないか──ウガンダの難民キャンプで
あの福島と書かれたトラックが忘れられない。スマホ撮影。
<「国境なき医師団」(MSF)を取材する いとうせいこうさんは、ハイチ、ギリシャ、マニラで現場の声を聞き、今度はウガンダを訪れた>
これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く 」
まえがき
この連載でいつも使っているのがカタール航空だし、俺が気にし続けている男もまたその機内に最初現れたのだった。
それがカタール自体、アラブ諸国の中での孤立を突如深め、今ではアラビア半島の上を一列にしか飛べないありさまだ。
ここ数日のことである。
どんどん世界が変わっていってしまう。
緊張の方向へと。
その中で、彼はどこから俺を見ているというのだろうか。
遠きインベピ
インベピ・キャンプはまだ新しく、いかにも建造されつつある難民居住区で、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と印刷された銀色の遮光防水シートで出来た四角いテントがあちこちにぽつぽつと立ち、ある場所は金網で仕切られていて上に鉄条網が張り巡らされていた。
水を運ぶタンク車がその金網の向こうに止まり、イギリスの貧困克服援助団体OXFAMのビブスを付けた人が行き交っていると思えば、セーブ・ザ・チルドレンがテントを構え、その間を多くの難民らしき人々が、特に女性であればほぼ必ず頭に水の入ったポリタンクなど乗せて歩いている。
国連(UN)を中心として、複数の人道団体がそれぞれの支援を進めているのだ。広大なビディビディ・キャンプでさえさばききれない数の難民が移動してきているからである。
「ニイハオ!」
という声が俺たちの車にかかった。
「ノー、ジャパニーズ! コンニチワ!」
と広報の谷口さんは返し、手を振る。
金網の向こうに南スーダンから来たのだろう、若いアフリカ人たちがいる。近郊のダムでは中国資本で大工事が行われていが、南スーダンの方でもやはり中国資本の大規模インフラ整備が行われているとのことだった。
周囲にはいつの間にか、さっきまであれほどあふれていた緑がなくなり、木々があっても葉が枯れているケースが多くなっていた。谷口さんがのちに教えてくれたところによると、ウガンダも北に行くにつれて枯れ木が多くなり、さらに南スーダンに入ればもっと土が乾くのだという。
砂煙の舞うインベピ・キャンプは、俺には突如あらわれた荒涼とした西部劇の町のように見えた。やがてボサの運転する車はそこが目的地でなかったとわかって元来た道を引き返したが、だからといって標識などひとつもなく、ただ枯れ草の間をすかし見ながら進む以外ない。