最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

マニラのスラムの小さな病院で

2017年4月7日(金)18時00分
いとうせいこう

アテリーナの勧めを受け入れた彼女は、以来毎日病院に来て受付をしているとのことだった。これ以上自分のような女性を増やしたくないと考え、リカーンが行っている最高裁の前での避妊薬の許可を求めるデモにも積極的に参加していると聞いた時、俺は心の中で驚いた。そしておとなしく無口な彼女の中にある信念の存在に打たれた。

「クリスティンはね」

とジュニーがにこやかに言った。

「誰よりもエモーショナルに抗議をするんだよ」

クリスティンは例によってわずかに唇を動かした。続く言葉を待ったが、それは呑み込まれた。あとには伏し目がちな微笑みが残るだけだった。

「ここでの仕事はお続けになりますか」

と谷口さんが聞いた。するとクリスティンは堰を切ったようにスムーズにしゃべり出した。

もちろん活動を続けたいと思っています。なにしろここはすべて無料なのです。みんな来たがっています。たとえ朝の5時に起きてでもここへ来て助けて欲しいのです。私はそういう人のお手伝いをしたい。

彼女自身、2010年から避妊用インプラントを体に入れているとのことだった。2014年に2回目の処置も行った。苦しむ子供、亡くなっていく赤ん坊を彼女はもう二度と見たくないのに違いなかった。

彼女は彼女を救うために日々病院に来ているのだった。

itou20170405142003.jpg

クリスティンの秤。

看護師アントニーという個人

じきに二階の診療室も見ることになった。

狭い階段を上がると小さな部屋が4つばかりあり、それぞれがカーテンで締め切られていた。中に母親や幼児がいるのは声でよくわかった。

俺たちのインタビューに答えてくれたのはアントニー・タネオという背の高い看護師で、挨拶をする段階で彼が、いや彼女がというべきだろうか、セクシャルマイノリティであることがわかった。

あたりの柔らかいアントニーは長い足を組み、狭い診察室の椅子に座ったまま、

「日本語わかる、少しだけ」

とふさふさの髪に触れながら言った。そしてまったく臆することなく、自分はLGBTの関係で新宿にいたのだと言い、なんでも聞いて下さいと言った。

ここでもまた俺はフィリピンの性に関する自由、寛容に感銘を受けた。そして彼の、彼女の、いやアントニーという個人そのもののキャリアへと質問を向けた。

itou20170405142004.jpg

アントニーの椅子。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米国との建設的な対話に全面的にコミット=ゼレンスキ

ワールド

米、ロシアが和平合意ならエネルギー部門への制裁緩和

ワールド

トランプ米政権、コロンビア大への助成金を中止 反ユ

ワールド

ミャンマー軍事政権、2025年12月―26年1月に
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
特集:進化し続ける天才ピアニスト 角野隼斗
2025年3月11日号(3/ 4発売)

ジャンルと時空を超えて世界を熱狂させる新時代ピアニストの「軌跡」を追う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 2
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題に...「まさに庶民のマーサ・スチュアート!」
  • 3
    「これがロシア人への復讐だ...」ウクライナ軍がHIMARS攻撃で訓練中の兵士を「一掃」する衝撃映像を公開
  • 4
    同盟国にも牙を剥くトランプ大統領が日本には甘い4つ…
  • 5
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 6
    うなり声をあげ、牙をむいて威嚇する犬...その「相手…
  • 7
    テスラ大炎上...戻らぬオーナー「悲劇の理由」
  • 8
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアで…
  • 9
    ラオスで熱気球が「着陸に失敗」して木に衝突...絶望…
  • 10
    【クイズ】ウランよりも安全...次世代原子炉に期待の…
  • 1
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 2
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやステータスではなく「負債」?
  • 3
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 4
    アメリカで牛肉さらに値上がりか...原因はトランプ政…
  • 5
    イーロン・マスクの急所を突け!最大ダメージを与え…
  • 6
    「浅い」主張ばかり...伊藤詩織の映画『Black Box Di…
  • 7
    メーガン妃が「菓子袋を詰め替える」衝撃映像が話題…
  • 8
    ニンジンが糖尿病の「予防と治療」に効果ある可能性…
  • 9
    「コメが消えた」の大間違い...「買い占め」ではない…
  • 10
    著名投資家ウォーレン・バフェット、関税は「戦争行…
  • 1
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 4
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 10
    細胞を若返らせるカギが発見される...日本の研究チー…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中