プーチンのロシアでは珍しくない凄惨なテロ<年表>
2002年のモスクワ劇場占拠事件では129人もの人質が命を落とした Sergei Karpukhin-REUTERS
<強権で抑えつけるほど反動も大きいのか。ひんぱんにテロ攻撃の的にされ、劇場や学校で多くの人質が犠牲になったこともあるロシアのテロを振り返る>
ロシア第2の都市サンクトペテルブルクの地下鉄で4月3日、2度の爆破が起き、11人が死亡、45人が負傷した。
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地元メディア局Rossiya-24は、サンクトペテルブルク市長広報官の話として、爆発で2つの車両が吹き飛び、10人が死亡し、少なくとも50名ほどが負傷したと報じた。爆発の原因はまだ確認されていない。ロシア国内の地下鉄ではこれまでも、過激派武装勢力による爆破事件が起きている。特に多いのが、チェチェン共和国南部の強硬な分離主義者と、ISIS(自称イスラム国)に忠誠を誓う武装勢力によるものだ。ロシアはシリア政府と協力して、シリアでISIS掃討作戦を繰り広げている。
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ロシアは2000年からウラジーミル・プーチン大統領(一時、首相)が率いている。プーチンは対テロ政策として諜報機関の機能を強化、ひとたびテロが起きれば武力をもって徹底的に排除してきた。以下は、プーチンのロシアで起きた主なテロ事件。
人質139人が巻き添え死
2002年10月:モスクワにある劇場をチェチェン人の武装勢力兵士42人が占拠し、700人を人質に取った。事件発生後3日目、ロシアの治安部隊は、建物内に強力な催眠ガスを送り込んで武装兵士を抑制し、劇場に突入を試みた。犠牲者の大半は、治安部隊が突入した際に巻き添えになった。最終的な死亡者数は、チェチェン人兵士41人、人質129人で、その大半は催眠ガスの不適切な利用が原因だった。
2003年8月:北オセチア共和国南部、チェチェンとの国境付近で、チェチェン人武装勢力による自爆攻撃が発生した。爆発物を積んだトラック1台が陸軍病院に突っ込み、50人が死亡した。
2003年12月:ロシア南部のスタヴロポリ地方にあるエセントゥキ駅近くで爆発が起き、46人が死亡、146人が負傷した。
2004年2月:モスクワの地下鉄駅で自爆テロが発生。少なくとも39人が死亡、100人が負傷した。
2004年6月:チェチェン人の武装勢力が、チェチェン共和国の隣国であるイングーシ共和国の内務省ビルなどを襲撃。少なくとも92人が死亡した。その中には、内務大臣代理のアブカル・コストエフも含まれていた。
2004年8月:2人のチェチェン人自爆テロ犯が、ロシアの別々の旅客機内でほぼ同時に自爆。90人が巻き添えとなって死亡した。
2004年9月:ロシア南部に位置する北オセチア共和国の都市ベスランで、チェチェン武装グループが学校を襲撃し、1000人を超える生徒や教師らを拘束した。占拠中と、その後のロシア治安部隊と地元自警団による突入で死亡した人の数は331人以上に上った。その半数は子どもだった。