シリコンバレーに「デザイン」はなかった
その後、クレメントは同社製品のカバーやアクセサリー部品(ツマミなど)のデザインを手がけるようになる。使いやすさ、軽さ、運びやすさなどを取り入れた彼のデザインは、従来製品との違いは一目瞭然で、これがデザイン改革の最初の一歩となった。
しかし当時のテクノロジー企業では、デザイナーとエンジニアとの間には大きな"格差"があり、「高度な専門教育を受け、高い地位にあり、高給取りでもある」エンジニアから、デザインへの信頼を獲得するのは困難だったという。エンジニアにとってデザインは「不必要な存在」だったのだ。
1972年に発売された世界初のポケットに入る関数電卓「HP-35」など、デザインが貢献した例はあるが、60~70年代のシリコンバレーにおける半導体産業の劇的な成長と発展に比べれば、ほんの小さな成功と捉えられても仕方がない。
著者もこう言っている――「少数の工業デザイナーたちの功績はシリコンバレーの歴史においては、脚注の中にあるさらなる細かな記述程度の存在でしかなかった」。
ジョブズが変えたデザインの地位
本書は、シリコンバレーにおけるデザインの発展について、主にデザイナーたちの視点で描かれている。巻末の「謝辞」に挙げられた名前の数(4ページ超!)と、細かな発言ひとつひとつの出典まで記された「注釈」を見れば、いかに多くの取材を重ね、長い時間をかけて書かれたものであるかが、よくわかる。
著者はこの本のテーマのひとつとして、「デザイナーたちの立場の劇的な変化」を挙げている。かつてエンジニアたちから「必要悪」と思われていたデザインは、いまや経営戦略に欠かせない重要な要素のひとつとなり、トップデザイナーは世界経済フォーラム(ダボス会議)で各国首脳と並んで座るまでになった。
そして、1980年代の初めには世界のデザインの中心地といえばミラノかロンドンかニューヨークだったが、現在では、世界中のどの地域よりも多くのデザイナーがシリコンバレーとその周辺で活躍している。あらゆるデザインの新分野が、シリコンバレーに起源をもつようになっているのだ。
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こうした変化に大きく貢献したのが、アップルのスティーブ・ジョブズだ。著者はジョブズについて、「シリコンバレーの歴史において、まさにターニング・ポイントとなる存在だ」と述べている。
実はジョブズは、戦略的にデザインを考えていたわけではないという。ジョブズが執着していたのは一体型家電製品としてのコンピュータというコンセプトであり、デザインは、それを達成するための必然的な手段だった。そして、それを実現したのは工業デザイナーだった。