東大生に育てたいなら、子供を「他人」と思いなさい
つまり、他人に接するのと同じように子供にも接するべきということ。他人に対しては失礼にあたるから決して口にしないような言葉も、子供にはつい言ってしまうことがある。その最たる例が「バカ」という言葉だが、案外、子供に言っている親は多いのではないだろうか。深く考えずに「つい」言っているだろうが、そうした何気ない言葉ひとつでも、子供の心には深く根付くのだという。
なぜなら子供には、親のその言葉が「何気ない(=深い意味のない)言葉」ということがわからないからだ。
思わず口から出てしまっただけで、本気でそう思っているわけではない、意味のない冗談であり、その場かぎりのもの。親としては、それくらいの心持ちだろう。だが、それは何十年と生きてきたなかで学び、身につけた感覚であって、まだ生まれて10年かそこらの子供に理解できることではない。
同じような例として著者が挙げているのが、「大したことありません」や「そんなことありません」といった謙遜の言葉だ。(日本人の)大人の世界では決まり文句のようになっていて、「誰かに褒められたら、とりあえず謙遜しておく」という姿勢が暗黙のマナーのように身についている。しかし、そんなことは子供には「理解不能」だと著者は言う。
子供には「子供の世界」がある
自分の子供時代を振り返ってみれば、誰でも「大人ってよくわからない」「なんで大人は○○なんだろう?」と思ったことがあるはずだ。たしかに、大人の世界は子供には理解できない。
一方、子供が大人の世界を理解できないのと同じくらい、実は、大人には見えていない子供の世界がある。学校や塾で自分の子供がどういう日々を送っているのか、完全に把握している親などいない。
どんなに仲良し親子で、毎日たくさんの会話をしていたとしても、子供の24時間をすべて知ることはできない。たとえ一日中そばにいても、その頭の中まではわからない。
だから、親子の会話が大切なのだと著者は言う。それも親が話すのではなく、子供に話させることが重要だ。
ある程度の年齢になれば、とくに男の子は自分の話をしたがらなくなるが、親が何も聞かなければ、ますます子供の世界は遠ざかっていく。このときばかりは他人に対する礼儀(=むやみに深入りしない)はしばし忘れて、親としての"働きかけ"が必要だ。子供がたくさん話してくれるかどうかは、親の「質問力」にかかっているのだ。
もちろん「勉強しなさい」と同じで、「今日は何があったのか?」としつこく聞けば聞くほど、子供は話してくれなくなる。しかし、どういう聞き方をすれば話してくれるかは、子供によって千差万別。重要なのは、自分の子供にはどういう聞き方が適切なのか、だ。
そのために必要なのが、子供を「見る」こと。著者によれば、「見る」「聞く」「話す」のうち子育てでもっとも大切なのは「見る」だという。