スコセッシ『沈黙』、残虐で重い映像が語る人間の精神の勝利
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<キリシタン弾圧を描く遠藤周作の名作『沈黙』が、巨匠スコセッシに長年の夢を実現させた>(写真:ロドリゴは隠れキリシタンの村人たちにかくまわれるが)
マーティン・スコセッシ監督の『沈黙―サイレンス―』は、最も固い信仰心をも試練にさらす何十年にも及ぶ忍耐と苦しみの物語だ。
作品の中身だけでない。制作の過程もそうだった。
本作はポルトガルから日本に渡ってきたキリスト教宣教師を描いた遠藤周作の66年の小説『沈黙』を映画化したものだ。スコセッシが初めて小説を読んだのが89年。その後、資金集めに苦労した20数年は多くの意味で、映画の中で繰り広げられる苦しみに匹敵した。
映画は1643年のリスボンを舞台に始まる。イエズス会の宣教師ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は、日本で捕らえられた恩師フェレイラ(リーアム・ニーソン)が拷問を受け棄教したと知らされる。
信じられない2人は、フェレイラを追って長崎へ。「隠れキリシタン」と呼ばれるキリスト教徒が、ひそかに信仰を実践している小さな村に着く。大名や侍に見つかるのを恐れる村人たちにとって、ロドリゴとガルペの存在は命の危険も意味する。
不信と疑心に満ちたこれらのシーンは、意外なほど感動的でもある。チラチラと燃えるろうそくの光や、霧や影に覆われた映像は、くすんでいるが希望に満ちた人々の顔を、その敬虔な信仰心や十字を切るしぐさによって美しく映し出す。
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鑑賞後も予定は入れずに
スコセッシ作品では、信仰は隠喩的な伏線や含みによって表現されるのが常だ。しかし、『沈黙』は厳しく高貴な信仰心を真正面から描いた衝撃的な作品であり、スコセッシの監督人生を悩ませてきた信仰と疑念という逆説に満ちている。
2人の主役のうち、より「スコセッシ作品の俳優らしい」のはドライバーだが、物語の焦点を形成するのは子鹿のような瞳と臆病さを備えたガーフィールドだ。彼は井上(イッセー尾形)という狡猾な長崎奉行の手に落ちる。尾形は欺瞞に満ちた笑顔を浮かべながら、横柄で陽気でかつ狡猾な獣を演じている。
この映画を人に勧めるのは厄介だ。17世紀日本のキリスト教弾圧をテーマにした2時間41分の映画を見てくださいとは言いにくい。サウンドトラックも少なく、描かれるのは泥くささやみすぼらしさばかりで、娯楽作品としての魅力はほとんどない。