リゾート地の難民キャンプに至るまで──ギリシャ、レスボス島
トルコ側は国境警備隊を配置し、ギリシャとの境を見張っているため、かつてのような流入はないものの、それでも今も1日に1隻程度のボートは海上で発見され、10人から15人が乗っている計算になるという。
MSFでは彼ら苦難を経てきた人々に、グループセッション、あるいはあまりに厳しい経験を経た人へはマンツーマンの心理ケア、また法的支援、ないし健康教育の広報を通しての啓蒙などを続けているとも聞いた。
ちなみに、マンタマドスでは特に親を失った子供の保護施設を設け、それまであった場所を勉強のためのものへと変えたそうで、そこにはギリシャ行政の協力も入り、MSF側は場所と医療を提供しているという。
俺たちが話を聞きに行っているその場所はOCB(MSF内のオペレーションセンター・ブリュッセル)が統括しているのだが、彼らだけでも現地スタッフが70人ほど、そして外国人派遣スタッフが8人。ほとんどが現在は港町ミティリーニのコーディネーション・チームと、マンタマドスに集中している、とアダムは言った。
活動領域を考えればその人数でもてんてこまいだろうし、難民流入のピークには相当なハードワークだったろうことが推測された。
アダム!
概況を教えてもらってから、俺はアダム自身のことに質問を向けた。彼はもともとイギリスの人道医療組織におり(ただしその組織自体、元MSFの人が作ったものだそうだ)、セーブ・ザ・チルドレンに移ってアフリカ諸国を巡ってからMSFに参加し、南スーダンのピボールに9ヶ月いて武力衝突による情勢悪化にも遭遇したそうだった。
彼のような歴戦の勇がいるのは他の人道団体との連携を深めるMSFギリシャにとって確実に有益で、実際に国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)、国際赤十字委員会、セーブ・ザ・チルドレンなどと彼らは週1回は情報共有をして意見をすり合わせ、課題ごとには常に連絡を取り合っているという。顔見知りなどがいればなおのこと、話が早くつくというものだ。
さて、ずんぐりむっくりしたその重要人物の一人アダムはブリーフィングのあとで、俺たちにおもむろにこう言ったのだった。
「では14時30分までランチを取って、それからまた来てくれますか?」
それはつまりどこかへ連れて行ってくれるということか。
現地取材が可能になったというのだろうか!
アダムは机の上の書類から少し上目遣いをするようにしてこちらを見ると、少しだけ強い調子で続けた。
「カラ・テペの難民キャンプに僕がお連れしましょう」
(つづく)
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。オフィシャル・サイト「55NOTE」
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。