最新記事

いとうせいこう『国境なき医師団』を見に行く

リゾート地の難民キャンプに至るまで──ギリシャ、レスボス島

2016年12月5日(月)16時45分
いとうせいこう

この美しいリゾート地の沖から難民たちは港に上陸したのだった(スマホ撮影)

<「国境なき医師団」(MSF)の取材をはじめた いとうせいこうさんは、まずハイチを訪ね、今度はギリシャの難民キャンプで活動するMSFをおとずれた。まずアテネ市内で最大規模の難民キャンプがあるピレウス港で取材し、トルコに近いレスボス島に移動した...>

これまでの記事:「いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く
前回の記事:「勉強したい少年──ギリシャの難民キャンプにて

ニコラスの預言

 翌日目覚めてすぐ、俺はカーテンを引き開け、幾つかのプールの向こうに存在する紺色の水の集積を見た。その海はいかにも深そうで、しかも向こう岸に何があるかわからなかった。陸地側は小高い丘の重なりになっていたが、海の近くで絶壁のように切り立っていたから、難民の乗るボートが着岸出来ないのは明らかだった。

 果てもないような海水の塊を、俺は重力の溜まり場のように感じた。力に引っ張られて小舟などはすぐに沈んでしまいそうだった。

 モリヴォス、というのが自分が来てしまった場所の名前だった。見下ろすプールには白いパラソルが広がり、朝の光がその脇でふくらむ小山の肌と、歩き回る子ヤギを照らしていた。

 広いベランダとつながった大きな食堂に降りていくと、あのニコラスがいた。日本から来たと聞いて「ジンム」の神話を話し出した不思議な青年だ。

 ニコラスは例によって首をもじもじ動かし、右下左下を交互に見るようにしながら、顎に指をあてて俺に言った。


「セイコーくん」

 この時、彼は「くん」までを発音した。つまりそこだけすべてが日本語なのだった。面くらう俺にニコラスは英語で続けた。


「世界は悪い方向に向かっている。違うかね?」

 突然そう問われて、俺は思わず、

 「おそらくそうだ」

 と答えてしまった。

 するとニコラスは顔色も変えず、

 「やっぱりね。いずれにしても、僕の友達がアニメ好きだといいんだが」

 と婉曲な話法で言った。僕の友達というのが俺のことだと気づく頃には、ニコラスは食堂を背にしてどこかへ歩き去っていた。

 まるで意味がわからなかった。"世界は悪い方向に向かっている"というのが有名な日本アニメの名セリフだと言うのだろうか。なぜニコラスは俺にアニメを思い出させようとしたのだろう。

 狐につままれたような思いでリゾートホテルのバイキング朝食を食べ、そこに合流してきた谷口さんから「今もMSF(『国境なき医師団』)のオフィスに連絡を取っていますが、返事が来ません」という報告を聞いた。

 俺たちは難民キャンプを管轄する行政からの、取材申請への返信を待ったまま、来てしまえば彼らもむげにはしまいと祈るような思いでレスボス島へ渡っていたのだった。

 ともかく、とホテルの従業員たちに俺は話を聞いて時間を過ごした。食堂を囲む広いベランダに出て、ある眉毛の濃い女性は海を指さしながらこう話した。

1205itou2.jpg

明るい女性従業員。オーナー家族だろうか。

 「去年はすごかった。女性や子供もたくさん舟に乗って、そこの海に集まって来たの。あれは本当に悪夢だった。彼らはもうどこかへ行ってしまったけれど」

 彼女は難民の方々の行き先を知らないかのように言った。俺は別の質問をした。

 「観光にも影響が出たんじゃないですか?」

 「そうね。七割くらいお客さんは減ったわね。国連の保障がないと大変。でも来年は元に戻るわよ」

 目の黒々とした明るい女性は自分もまたビーチで遊ぶようなリゾートファッションで、そう展望を語った。

 その間、ニコラスは出てこなかった。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

尹大統領の逮捕状発付、韓国地裁 本格捜査へ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 8
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 9
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 10
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中