百田尚樹氏の発言は本当に「ヘイトスピーチ」なのか?~ヘイトを生む「保守」の構造~
しかし、そういった「異形」に比べて「まだマシ」なのだから良い、で済んでしまうお話なのだろうか? 恐らく今回、千葉県警が現段階(11月28日)で犯人らの本名を発表しないのは、国籍ではなくてこの手の犯罪につきものの、犯状特有の因があるからであろう。しかし、県警が将来犯人らの名前を公開し、その氏名が純粋和風のものであったとしても、「(在日コリアンからの)帰化人だ」「通名である」などと、またも「犯罪者=在日コリアン説」がふって沸くことは、火を見るよりも明らかである。
単に「思い付き」を述べた百田氏に非はあるのは否めないとしても、私はなぜ、百田氏のような高名な作家が、2002年ごろから勃興してきたいわゆる「ネット右翼」界隈で定説となった「犯罪者=在日コリアン説」を垂直的にトレースするのか、の方に興味がある。なぜなら重大犯罪の逮捕者が出るたび、その氏名が公表されようとされるまいと、「犯罪者=在日コリアン説」は百田氏以外の「保守系言論人」の中にも根強く存在し、それを支持する無数の「ネット右翼」の中で動かしがたい定説になっているからだ。
(筆者注*例えば、元航空幕僚長の田母神俊雄氏がISISに拉致されたジャーナリストの後藤健二氏[後に殺害]を在日ではないかと発言したことや、「日本には韓国人の売春婦がウヨウヨいる」と発言して当時の日本維新の会から除名された西村真吾衆議院議員など。後藤さんは犯罪者ではないが、世間を悪い意味で騒がせたという文脈の中で、田母神の世界観の中では犯罪者のように語られていた)
なぜ「犯罪者=在日コリアン説」はここまで広がったのだろうか?
繰り返されてきた「犯罪者=在日コリアン説」の遠因
一言でいえばそれは、「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という、「美徳信仰」ともいうべき、まったく科学(統計)的根拠のない「似非神話」に基づいている。「日本人なら犯罪など犯さないはずだ」という思い込みの根本は、「日本人は高潔で、慎み深く、お互いに助け合う精神を持っている」という、根拠なき日本人礼賛の精神が存在する。
ではこの根拠なき日本人礼賛の精神はどこから来たのかというと、これは元来、いわゆる「保守論壇」が特有に持つ内向きの理屈に由来する。インターネットが普及する以前、この国の「保守論壇」は冷戦時代の「反共保守」が中心となり、そしてそれを支える支持者もまた著しく高齢化していた(現在もあまり変わらないが)。