「打倒トヨタ」を掲げ、地域が共に闘う空気を意図的につくる
bjリーグとNBLを取り持つ橋渡し役として
リーグを変えるかどうか迷っていたとき、経済的なメリットや戦略的な仮想敵国作りの他にもう1つ、日本のプロバスケットボール界全体への影響も考えました。
一番大事なのは日本のプロバスケットというスポーツのマーケットが成立すること。千葉ジェッツだけが頑張っても頭打ちになりますから、バスケットの産業自体が発展しないといけません。そのためにはリーグが統一することが大事だと私は信じていました。
移籍当時、bjリーグとNBLはあまりいい関係が築けていなかったんです。そこで我々がbjリーグからNBLへ移れば、薩長連合じゃないですけど両者を取り持つ橋渡し役になれるのではないかと、そういうことも念頭にありましたね。また、いずれリーグが統一されるとしたら日本バスケットボール協会のルールが採用されるでしょう。となると、NBLに移籍していれば統一したときに先行者利益も見込めます。こうした大局的な見地からも移籍を決めたという経緯があります。
結局その後、Jリーグの立役者である川淵三郎さんが公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグを創設し、Bリーグが発足、bjリーグとNBLは合流することになったのですが、弱小球団でスポンサーもつかなかった我々がNBLで奮闘している姿を見て、「うちもやれるんじゃないか」と思ってくれたbj所属の球団もあると思うんです。ですからリーグ統一の裏方としては、我々の移籍はささやかながら機能したと思いますし、意義があったと思います。
決めた目標は必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつく。
負け組の雰囲気が漂っていた職場の士気を高めるためには、社員の意識改革も大きな課題でした。
具体的には活動理念やミッションをビジョンとして示して、それらを実現するために長期・短期の計画へブレークダウンしていきました。ミッションを果たすために、5年後には売上をいくらにするか、そのためにはスポンサーがどれくらい必要で、チケットはどれくらい売れないといけないかといった具体的な目標を設定。さらにその計画を担当する責任者を決めて、月単位、週単位でプロセス管理を徹底しました。
「日本一の球団を目指す」というような大きな目標をいきなり掲げても、資金繰りもおぼつかない状況では到底信用されません。でもビジョンを示して、段階的に1つ1つ実績を作っていくと組織は変わってきます。2年後に5億円の売上を立てると決めたら必達させる。3年後に7億といえば必達させる。これを2年、3年と続けると勝ちグセがつきます。その先にさらに高い目標を掲げても、何とかなるだろうと受け入れられる土壌ができてくるんです。