世界の困難と闘う人々の晩餐─ギリシャの「国境なき医師団」にて
目の前の席に来たジョージ・ダニエルはストライプのシャツの前をはだけ、小さな眼鏡をかけた医師だった。彼は俺が日本から来たと聞いて、すぐに福島の現状を質問してきた。特に放射能被害について、それは本当に大きな災厄だと表現しながら幾つかの医師的な意見を述べた。
そのあとダニエルは、医師としてミッションに行くのはもうやめたのだと話してくれた。「何時だろうが携帯で呼び出されるのはこりごりだ。あれは医療という名の売春だったよ」
きついジョークを言う彼はしかしMSFから離れることはせず、ミッションが必要とするはずの医療機器を販売する仕事に転身しながら、現在もMSFギリシャの理事として組織に関わっているのだそうだった。
その横にいるのは副会長のエレーニ・カカブ。ギリシャ語と英語のちゃんぽんで(なぜなら一人だけオランダのスタッフ、短い髪の男性ビム・デ・グラートがいたから)、彼女はHIVの実例を語っていた。なんでもタイだけがゲイのHIVを見事にコントロール出来ており、薬の投与のタイミングなど含め世界に類を見ないケースになっているらしかった。
「このタイの問題は今、ほんとに話題なの」
彼女はそう言ってギリシャ風の大きなフェタチーズの乗ったサラダを食べ、ズッキーニのコロッケを食べ、その間に俺たちが2日後にレスボス島の難民キャンプに行くと聞いて、
「泳ぐといいわ」
と明るく言い、またタイの話に戻った。エレーニが考えるに、まず第一にタイ保健省がゲイをよく理解しており、感染者を疎外せずに積極的に受け入れたことが大きかった。第二に、家庭にも同じことが言えると彼女は医療関係者でない俺の目までのぞき込んで言った。
「ゲイに対しても家族のサポートが厚いんです、タイは」
そんな調子で、MSFギリシャのメンバーは長いテーブルを囲んで実によく議論し、質問しあっていた。谷口さんいわく、それはイタリアとギリシャでよく見る光景なのだそうだった。ギリシャ・ローマ文明と言えば大げさだけれど、薄暗さも気にせずアルコールを飲みながらひたすら語り合っている大人の姿を見ていると、文化の筋力が違う気がした。
「MSFの総会でも、エリアスはよく手を上げるんです」
谷口さんは面白がってそう教えてくれた。その向こうでエリアス自身は当然別な議論に参加していた。彼は若い頃に医学を数年学びかけ(手術の見学中に貧血で倒れ、自分には無理と医学部を中退した、と言っていた)、ロンドン大学で公衆衛生の修士課程を取り、保健政策と医療のバランスをより大きな見地からとらえるのに長けていた。いずれはMSFの活動から大学で教える側に行くはずの人物だった。
そのエリアスはいまや英国の資本主義の方がきつい、と話していた。アメリカがまだしもだと思えるほどだ、と。その後ろでカーティス・メイフィールドのソウルフルな演奏がかかっていた。店の選曲は七十年代米国R&Bの渋いところを攻めてくれていた。
会長から話を聞く
じき、ウゾを頼んだ俺を誉めてくれたヒゲ面の、ちょっとヒュー・ジャックマンみたいな風貌の男性が話しかけてきてくれた。彼こそがMSFギリシャの会長、クリストス・クリストウ氏だった。にこやかでありながら、時に目の奥に鋭い眼光がきらめくクリストス氏は、そのあと面白い話を色々教えてくれた。
まず、MSFと国際環境NGOグリーンピースが組み、エーゲ海や地中海に3隻の船を出しているとのことだった。その協力には多くの議論があったが、しかし海上にひっきりなしに現れる移民ボートを救助し、海岸で待ち受ける医師によって適切な病院に運ぶには、両者の力の連係が必要だった(その活動に関する映像はこちら)。
また、彼らMSFギリシャの活動は、そもそも市民レベルで培われてきた難民・移民サポートなしにはあり得ないのだ、と自身もウゾを飲み干しながらクリストス氏は言った。
「元々災害があれば駆けつけたし、資金も送る組織がずっとギリシャにはあったんです。誰かが困っていたらそこにおもむくというのは、人間性そのものの発露に過ぎません。珍しいことじゃない。そうやってギリシャの市民はボランティアを続けてきたんです」
ここにもまた熱い人間がいたのに気づき、俺はクリストス氏のいうことすべてを聞き取り、メモろうと姿勢を前傾させた。その集中力は酒のせいでもあったかもしれない。
「さらに僕らの国には経済危機がありました。社会が崩壊するような危険が訪れた。しかし、だからといって難民・移民への心遣いが消えることがなかった。これは奇跡ですよ。草の根運動は継続したんです」
その事実には学ぶことが多かった。特に草の根運動にも、他国民の困窮に手を差し伸べることにも疎くなっている今の日本人には。