スウェーデン亡命センターで自死、目的地に着いた難民少年は何故絶望した?
未成年者がパスポートを持たずに到着すると、スウェーデン当局は通常、申告された年齢に基づき誕生日を与える。アンサリさんは16歳だと伝え、当局は誕生日を1999年7月24日に決めた。
当時、保護者のいない18歳未満の亡命希望者が、スウェーデンに家族を呼び寄せることは比較的簡単だった。
16歳と申告したことで、家族を呼び寄せるための猶予期間2年のカウントダウンが始まった。
新たな生活
アンサリさんが亡命希望の少年20人と共同生活を送っていた、政府が運営する2階建てレンガ造りの建物は、ブレーキンゲ地方のスバングスタにある。少年たちの出身国は、アフガニスタン、シリア、ソマリア、エリトリア、モロッコ、イランとさまざまだ。
このセンターの運営責任者であるサンティ・クルベルク氏は、最初の健康診断でアンサリさんに特に異常は見られなかったと語る。
同氏によると、アンサリさんは保守的で、政治と宗教について議論するのが好きだった。また時には、女性はあまり肌を露出すべきではないと語ったり、女性職員と握手するのを嫌ったという。女性との握手は禁じられているとし、代わりに手を自分の胸に当ててあいさつをしていた。
少年たちは、バスで30分ほどの場所にあるカールスハムンの学校に通った。新しい生徒は、スウェーデン人とは別の階で、スウェーデン語の集中プログラムを受ける。アンサリさんは水泳のクラスを取り、街にあるモスクにも通っていた。
未成年の亡命希望者は政府から住居を提供され、親としての法的役割を務める後見人がつけられる。彼らが18歳になるまで、あるいは居住が認められるようになるまで、亡命申請手続きを支援し、経済的に面倒を見る。法定後見人には子ども1人につき、1カ月約2000スウェーデンクローナ(約2万3000円)が支給される。
コードレッド
アンサリさんのスウェーデン滞在が2カ月を超えた昨年10月、手続き開始のため、移民局と面接するはずだった。当時、同国に到着した亡命希望者の数は数カ月で7万人以上に達していた。アンサリさんの後見人となったモハメド・ヤシンさんは、移民局から面接を延期せざるを得ないとする通知を受け取った。そこには新たな面接日は記載されていなかった。
冬が近づき、日照時間が短くなるなか、パリ同時攻撃の容疑者が難民にまぎれてギリシャ経由でフランスに入国していたことが明らかとなった。アンサリさんの友人のなかには、本国に送還しやすくする作戦としてスウェーデン当局が申請手続きを遅らせるかもしれないと心配する人もいたという。
移民センターのクルベルク氏によると、春が近づくにつれ、アンサリさんは欧州の習慣を受け入れ始めた。女性職員からの握手やハグすらも受け入れるようになったという。