スウェーデン亡命センターで自死、目的地に着いた難民少年は何故絶望した?
徴兵を逃れて
アンサリさんは、イラン南西部シラーズに住むアフガニスタン人の工場警備員の長男として生まれた。父親によると、アンサリさんは約1カ月かけてトルコ、ギリシャを経由し、ドイツに到達。スウェーデンに着いたのは2015年7月24日のことだった。この年、同国にたどり着いた保護者のいないアフガニスタン人の未成年者は2万3000人超に上る。
多くのアフガニスタン人同様、アンサリさんは「二重難民」だった。アンサリさんは、イスラム教シーア派の少数民族ハザラ人である。ハザラ人はアフガニスタンで長い間迫害を受け、スンニ派の反政府武装勢力タリバンに狙われるようになってからは、多くが1990年代にイランへ逃れた。
数多くのハザラ人難民に囲まれ、アンサリさんはイランで育った。アジア的な顔立ちで目立つことから、ハザラ人はひどい差別に直面していると、複数の人権団体が指摘している。
公式統計はないが、アフガニスタンで活動するスウェーデンの援助団体「スウェーデン・アフガニスタン委員会」(SCA)のカシム・フセイニ氏によれば、スウェーデンで亡命申請しているアフガニスタン人の推定7割以上がハザラ人だという。自身もハザラ人だというフセイニ氏は、15歳のとき独りでスウェーデンを目指し、2001年にたどり着いたという。
人権団体によると、ハザラ人は最近、シリアで戦うためイラン軍に徴兵されているという。アンサリさんの父親がロイターに語った話では、そのことが、イランでプラスチック製品のリサイクル会社で働いていた少年を欧州へとまさに駆り立てたという。
当初、父親は息子を止めようとした。だが、どのみち行ってしまうと分かってからは、家族はアフガニスタンで所有する土地を貸したり、いとこに借金したりして密航業者に支払う4000ユーロ(約45万円)を工面した。世界銀行の数字によると、その額は2015年の1人当たりアフガニスタン国内総生産(GDP)の2倍以上に相当する。
カウントダウン
アンサリさんを知る人たちによれば、彼は思いやりがあり、笑みを絶やさず、スペインのサッカーチーム、レアル・マドリードのファンだった。
「子どものなかで一番、頭が良かった」と父親は言う。「電子機器に興味があった。スウェーデンに行ったら、モバイル技術を勉強する計画だった」
多くのアフガニスタン人のように、アンサリさんもイランから家族を呼び寄せるつもりだった。
アンサリさんが住んでいたセンターからほど近い場所にあるカールスハムンのカフェで、アンサリさんのアフガニスタン人とイラン人の友人は、旅費を途中で稼ぎながらやって来たと明かした。
「少年たちが、とても大変な責任を背負っていることを分かってほしい」と、アンサリさんの古くからの友人であるナガウィさんは話す。「家族はすべてを投げ打って渡航費を工面した。それが彼らの双肩にかかっているのだから」
スウェーデンの土を踏んだ瞬間から、責任の重みが格段に増していく。