スウェーデン亡命センターで自死、目的地に着いた難民少年は何故絶望した?
しかしまだ移民局の誰とも会えないままでいた。
友人たちによれば、アンサリさんは何時間も自室にこもるようになり、笑顔が消え、学校にも行かなくなり、やせていったという。
センターや地方当局作成の文書によると、医師がアンサリさんの分類を「コードレッド」に変えたのは、3月ごろだった。それは自殺や暴力的・脅迫的行為に及ぶリスク、あるいは脅迫や暴力を受ける恐れがあることを意味する。
4月6日の朝、アンサリさんはようやく移民局と面接できることとなった。アンサリさんと後見人のヤシンさんは南部ベクショーに向かった。到着すると、移民局が間違ってアンサリさんの担当官をマルメに派遣していたことが判明した。ベクショーからマルメまでは、車で2時間以上かかる。移民局は誤解が生じていたとし、新たに面接日を5月3日に設定した。
ヤシンさんは翌日7日、アンサリさんから「具合が良くない」との携帯メッセージを受け取った。そのメッセージは数回送られてきたという。
それから数日後、少年たちは、センターでサッカーの欧州チャンピオンズリーグを一緒にテレビ観戦しようとアンサリさんを誘った。観戦中、職員が投薬のためアンサリさんを呼んだ。クルベルク氏が覚えている限りでは、アンサリさんは自分で自室に行き、職員が薬を持って彼の部屋を訪れたという。
アンサリさんが自殺を図ったのはその日の夜だった。
カールスハムンで、アンサリさんは、アフガニスタンの言葉とアラビア語で名前が刻まれた2人の墓の隣に眠っている。墓地内にある他の墓とは離れた場所だ。その場しのぎの墓石には、彼の名前を記した紙がビニール袋に入れられて貼られていた。
(Sven Nordenstam記者、Benjamin Lesser記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)