リオ五輪閉会式「引き継ぎ式」への疑問
「再利用を見ると辛くなる」
だが、『バベル』の共同振付家のひとり、ダミアン・ジャレ氏は、以下のように憤る。
「昨今、インターネットは"インスピレーション"の海となった観があります。そして、そこで見たものをそのまま再生産することがごく自然なことだと考えている人もいるように見えます。
『バベル』の建築のシーンとオリンピック閉会式の写真を並べて見ると、"7つの間違い探し"のようです。とはいえ、どちらの場合においても、重要なのはフレームが振り付けられていること。彼らがつくった内部空間において、ダンサーたちは我々と同様にフレームを同期させて動かしています。
複数のアーティストが、互いにそれと知らずに同一のアイディアを抱くことはありうると思います。しかし『バベル』は6年以上にわたって世界中を巡回し、2014年8月には坂本龍一氏の招聘により、札幌と東京の大規模会場において計5回の公演を行いました。上演に当たっては、トレーラーや画像がメディアによって大量に拡散されています。
もうひとつ重要なのは、オリンピック閉会式に関わったアーティストの多くが、『バベル』日本公演を企画したのと同じ芸術的なコミュニティに加わっていることです。言い換えれば、今回の場合、偶然であるということはおよそ不可能だと思われます」(英語原文より抜粋翻訳。Eメールによるコメント)
シディ・ラルビ・シェルカウイ氏もコメントを寄せてくれた。
「我々の芸術的なアイディアは、限られた予算内で集団的に練り上げるという、特別な環境でつくったものです。それが、このような巨大マスメディアイベントにおいて、他の商業的なアーティストによって、そもそもの意図とはいかなる関係もない形で再利用されるのを見ると、辛い気持ちになります。
以前にもこうした経験があります。個人的には大好きなポップアーティストのビヨンセが、我々のパフォーマンス『sutra(スートラ)』のアイディアを取り入れ、自分のライブコンサートに組み込んだのです。
若いアーティストが年長のアーティストを模倣するとき、そこにはある種の魅力、ある種の純粋さがあります。それは、うれしくもあれば、美しくさえ感じられることです。
巨大な予算の商業的組織が、予算が潤沢ではない現代芸術の世界から、原典を示すことなくアイディアを取り入れるとき、それは人を悲しませ、苦痛をもたらすものになりえます」(英文原文を全文翻訳。Eメールによるコメント)