「国籍唯一の原則」は現実的か?――蓮舫氏の「二重国籍」問題をめぐって
母親からも受け継げる父母両系に変わったのは1985年だ。1981年に発効した国連・女子差別撤廃条約には、子どもの国籍に関する男女平等について定めた規定がある。それを満たして条約に加入するため、1984年に国籍法が改正され、1985年に施行された。改正の背景には、沖縄で無国籍のアメラジアンの子どもたちが増加していたという事情もあった。
蓮舫氏が父親とともに代表処に行ったとしているのが17歳のとき、1985年だったのは、おそらくこのためだ。
出生時は父系血統主義で台湾国籍に
彼女が生まれた1967年、日本の国籍法は父系血統主義だったため日本人の母親の国籍を受け継ぐことはできなかった。そうした経緯から、彼女は父親の国籍を継承することになったのだろう。その国籍を付与するところの台湾、つまり中華民国は日本と1952年に国交回復済みだったため、それは日本でも認められた「国籍」となった。
その後、前述したように1985年から、日本の国籍法改正によって父母両系になるのだが、出生時に父母いずれかの国籍を引き継げるようになったということで、1967年生まれの蓮舫氏は対象外だ。
では彼女はどのようにして日本国籍を取得することになったのか。
経過措置により母の国籍取得可能に
当時、改正国籍法の施行後3年間は、施行前に日本国民である母から出生した20歳未満の子どもとその子どもは、法務大臣に届け出ることによって日本国籍を取得することができるという経過措置が取られたのだ。某紙のインタビューで、「帰化」ではなく「国籍取得」だと答えていたのがこういうことなら、合点がいく。
1972年の日中国交正常化によって日本は中華民国、つまり台湾と国交を断絶した。日本における外国人登録上は「中国」という表記に統一されていたが、中華民国の国籍は日本国内では国籍として認められない。そのような状況のなか、ダブルの蓮舫氏が自分の意志であれ家族の判断であれ、経過措置というチャンスを利用して日本国籍を取得しようというのは自然な成り行きだったのではないだろうか。
形骸化する国籍選択制度
こうして蓮舫氏は日本国籍を取得することになり、後に国会議員となる資格も得たのだと思われる。台湾国籍離脱の真偽については不明だが、もし事実なら、父親が律儀な人だったのだろう。
なぜなら国籍法改正の際、父母両系主義の採用により重国籍者の増加が見込まれるとして、重国籍者は成人後2年以内、つまり22歳までにいずれかの国籍を選択しなければならないものとする国籍選択制度を新設したからだ。これは、日本の国籍法が「国籍唯一」の原則を取っていて重国籍を許容していないためである。