没後40年、現代中国の市場経済優先に抵抗する毛沢東主義者
1月、河南省において、高さ36.6メートルの金色の毛沢東像が正式に登録されたものではないとして当局により撤去されたことに、毛沢東支持者たちは激怒した。
王氏は、毛沢東の歴史上の地位が無視もしくは過小評価されているのではないかと懸念し、先月「中国保衛毛沢東人民党(毛沢東を保衛する人民党)」と称する政党を立ち上げた。中国共産党に対する露骨な挑戦である。そのうえ彼は、「毛継東」(毛の遺産を継ぐ者の意)というペンネームまで使っている。
自身の権威に対する挑戦を決して認めない中国共産党にとって、これらの政党は許しがたい存在だ。
王氏は、毛沢東は民主主義を望んだであろうと信じているという。彼は先週ロイターに、最初の党大会を砂塵の舞う北部都市、石家荘で今週開催する予定だと述べ、約50人の参加を見込んでいると語った。
だが6日、理由に触れることなく党大会の中止を知らせる短いテキストメッセージが王氏から送られてきた。その後、王氏と連絡が取れなくなっている。石家荘の警察はコメントを拒否している。
毛思想
中国共産党は毛沢東にも誤りがあったことを認めているが、中国を混乱と暴力の渦に陥れた1966─76年の文化大革命(文革)や、何百万もの餓死者を出した1958─61年の「大躍進」については、まだ公式の説明がない。
習近平国家主席は、個人的に文革で苦しめられた立場である。父親は投獄され、習氏自身も、都市部で暮らす何百万人もの中国人青年と同様に、地方に送られ、農村での生活を強要された。
指導部との人脈を持つ情報提供者がロイターに語ったところによれば、毛沢東の命日である9日、少なくとも北京では目立ったイベントは行われない可能性が高いと話している。ただし国営メディアは、出身地である湖南省ではイベントが行われると告げている。
だが毛沢東は、はるか遠く離れた地で記憶を呼び覚ましている。
オーストラリアの2大都市、シドニーとメルボルンでは、毛沢東の命日を記念するコンサートが中止された。一方については、中国系市民から内容が不穏当であるという苦情があり、安全上の懸念があるためだとされている。