トルコのクーデータ未遂事件後、「シリア内戦」の潮目が変わった
敵意を露にするトルコ
シリア政府とロジャヴァの武力衝突は、米国には、ロジャヴァの「反体制派」への転身という歓迎すべき動きに見えたかもしれない。だが、その台頭を快く思わない当事者がいた。トルコである。
トルコは、クルディスタン労働者党(PKK)の元メンバーが2003年に結成したPYDをPKKと同じテロ組織とみなしてきた。「シリア内戦」の混乱のなか、トルコは、国境地帯でのロジャヴァの勢力拡大で、PKKの「テロの温床」が創出されるだけでなく、「反体制派」への支援経路が断絶することに警戒、国内でPKKとの戦闘が激化するなか、シリア政府に対する以上にロジャヴァへの敵意を露わにするようになった。
2015年8月、トルコは米国との合意のもと、ロジャヴァが支配するユーフラテス川以東とアレッポ県北西部のアフリーン市の間に位置する一帯を「安全保障地帯」に設定し、この地域へのロジャヴァの進入が「レッドライン」にあたると主張、米国やロシアの介入を阻止しようとした。しかし、この結果、同地は緩衝地帯と化し、イスラーム国に侵食されてしまった。
トルコの戦略は、イスラーム国に活動の場を与える「テロ支援」と非難されるべきものではある。だが、同国がイスラーム国ではなくPKKを国家安全保障上最大の脅威として認識していることは承知しておく必要がある。さもなければ、トルコがPKKとの「テロとの戦い」のために、イスラーム国との「テロとの戦い」を猶予している事実は理解できない。
米国もロシアも、トルコの「テロとの戦い」を容認しない
とはいえ、イスラーム国との「テロとの戦い」を中東政策の基軸に据える米国が、トルコの「テロとの戦い」を尊重するはずもなかった。米国は「シリア民主軍」を名乗る武装連合体に対して、空爆による航空支援や特殊部隊による技術支援を行い、もっとも最近では、アレッポ県東部におけるイスラーム国の拠点の一つマンビジュ市の解放が実現した。だが、シリア民主軍はYPGを主力部隊として構成されており、米国のシリア民主軍支援とは、トルコにしてみれば「テロ支援」に等しかった。
一方、ロシアにとっても、トルコの「テロとの戦い」は容認できなかった。シリア領内で空爆を開始して以降、ロシアはトルコがイスラーム国やヌスラ戦線を支援していると非難、国境地帯で「反体制派」への空爆を繰り返した。2015年11月のロシア軍戦闘機撃墜事件はこうしたなかで発生、両国関係は一気に冷え込んだ。だが、ロシアの強引なシリア介入策にトルコが抵抗し得るはずもなく、トルコが支援してきた「反体制派」は、シリア軍とYPGの反転攻勢を前に劣勢を強いられるようになった。7月末のシリア軍によるアレッポ市東部包囲はこうした流れのなかで生じたものだった。
トルコのクーデータ未遂事件後、「シリア内戦」の潮目が変わった
だがここへ来て、「シリア内戦」の潮目が再び変わり始めた。きっかけは、7月のトルコでの軍事クーデタ未遂事件だ。事件を機に、これまでにも増して強権的な支配を強めるようになったエルドアン政権に対し、欧米諸国からは批判的な反応が相次ぐようになった。その一方で、ロシア(そしてイラン)は、事件直後に同政権への支持を表明し、接近を図った。トルコはこれに先だってロシア軍戦闘機撃墜事件について正式に謝罪し、関係改善に向けた布石を打っていたが、8月9日にエルドアン大統領とプーチン大統領の首脳会談が実現、「シリア内戦」に介入を続けてきた諸外国のパワー・バランスに微妙な変化が生じ始めた。
この変化とは、トルコとロシアがそれぞれ推し進めてきた二つの「テロとの戦い」の擦り合わせをもたらそうとしているかのようである。より明確に言うと、ロジャヴァと「反体制派」への両国の関係見直しの兆しが現れているのだ。ハサカ市での武力衝突とは、おそらくはその予兆を察したロジャヴァとシリア政府のリアクションの一環として起こったと解釈できる。
二つの「テロとの戦い」の擦り合わせの兆しは他にもある。ロシアは、ジュネーブでの和平協議へのPYDの参加に固執してきた従来の姿勢を軟化させるかのように、2月にモスクワに開設されていたはずのロジャヴァの代表部は存在しないと発表した。また、シリア政府は「愛国的反体制派」と呼んでいたPYDを、トルコに倣ってPKKと名指しし、その行為を厳しく指弾するようになった。