【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(後編)
Satoko Kogure for Newsweek Japan
<2016年5月27日のオバマ広島訪問に先立ち、本誌は原爆投下を決断した第33代米大統領ハリー・トルーマンの孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルを訪ねていた。今回がインタビューの後編。2012年に初めて日本を訪れたダニエル。筆者がインタビューで、謝罪や責任をめぐる質問を敢えて何度もダニエルにぶつけた理由とは> (写真:クリフトン・トルーマン・ダニエル、2016年5月、シカゴにて)
――日本を訪問する前に、行くことが怖くなったりはしませんでしたか。
ほかにもそう思っている人がいたが、怖くはなかった。ただ、私の訪問が日米双方で間違った形で受け止められないか、建設的で前向きな訪問にできるのかという点は心配だった。
日本に到着してテレビ局のインタビューを受けた際、「謝罪をしに来たのか」と聞かれた。私は「いや違う。死者に敬意を表し、生存者の話を聞きに来た。謝罪が目的ではない」と答えた。その記者はとても攻撃的で、通訳が気分を害してインタビューを止めようとしたほどだった。
そのとき、佐々木雅弘がこう切り返してくれた。「あなたがダニエル氏にヒロシマについて謝罪を求めるなら、ダニエル氏は真珠湾について謝罪を求めてもいいはずだ。だが、そこから何が生まれるのか」
スタートは悪かったが、その後の日本滞在は素晴らしく、メディアも好意的だった。私が会った被爆者は誰一人として謝罪を求めたり怒りを見せたりしなかった。被爆者たちは一般的に謝罪を求めていないと聞いている。彼らにとって、謝罪を受けることより重要なのは体験を伝えることなのかもしれない。核爆弾の恐ろしさを伝えて、二度と使われないようにするために。
――謝罪について問われて、「戦争を始めたのは日本じゃないか」と反論したくなったことは?
ないない、私にはそうした怒りはない(笑)。ただ、祖父は言い返したことがある。確か1958年のテレビインタビューで、彼は原爆を使ったことに良心の呵責や戸惑いは一切ない、もしまた同じ状況に直面したら再び投下を決断するだろうと語った。これに広島市議会が激怒して、祖父に発言の撤回を求める手紙を送った。
祖父は戦争に至る経緯を順序立てて説明する丁重な手紙を送り返し、もし日本が真珠湾を奇襲攻撃しなければ、これらすべてのことは必要なかったと結論付けた。祖父は「そっちが先に始めたんだろう」とやり返したわけだ。
しかし、私はこうしたやり方が有益だとは思わない。私たちは当時を生きた当事者ではないからだ。戦争を経験していない世代のアメリカ人と日本人は、再び険悪な関係になりたいわけではない。だから「謝罪しに来たのか」と聞かれたら私は、あの戦争のすべての痛みを注意深く、公平に見ようではないかと答えるだろう。
(相手の行動の)理由を知ろうとすることも役に立つ。私は(真珠湾攻撃の際に日本の首相だった)東條英機のひ孫である東條英利とメールのやりとりをしている。私たちは昨年、オーストラリアのテレビ番組にそれぞれ遠隔地から出演したが、中立の立場を探そうとしている点で互いに共感できた。「そっちが先に始めたんだろう」と言い合うより、(過去の敵と味方が)一緒になって、当時何が起き、なぜあれほど険悪な関係に陥ったのかと考えるほうが有益だ。非難や怒りを差し挟まずに歴史の経緯を振り返る作業だ。
――今から言うことは、何かを非難することが目的ではありません。単なる質問だと思って聞いてください。あなたは今まで、日本人に対して罪の意識を持ったことはありますか。
ノー。なぜなら、私はあの時代を生きた世代ではなく、戦争に直接関わっていないからだ。私が感じるのは「責任」という意識だ。物事を良くするために尽力する責任だ。
――過去に対する責任ではなく、未来に対する責任だと。
過去の行為に対する責任ではなく、過去に背を向けずに人の役に立つという意味での責任だ。当時の人間でないから関係ない、というのではない。
被爆者たちが素晴らしいのは、アメリカ人がこの問題に積極的に関わりやすいよう配慮してくれる点だ。彼らは怒りや非難の応酬を抜きにして接してくれる。とても礼儀正しく「あなたは知る必要がある」と言ってくる。「どんな体験だったか、知らなければならない。私が教えてあげよう」と。
【参考記事】パックンが広島で考えたこと