最新記事

歴史

優柔不断なツァーは追加の電報で気が変わった――第一次世界大戦史(3)

2016年7月11日(月)17時06分

 一方でベートマンは、二九日の午後、駐露ドイツ大使を通してサゾノフ外相に、ロシアが軍事的準備を続けるならばドイツも動員せざるを得なくなるという警告を伝えた。あくまで警告のつもりだが、サゾノフは怒り、あたかも最後通牒であるかのように受け止め、総動員がすぐに必要だと確信してしまう。

 その晩、サゾノフはツァーに、これ以上、総動員が遅れればロシアは危ういという軍の見解を伝えた。ツァーは、総動員を承諾する。ところが、その総動員令が発せられる直前の午後九時二〇分に先述のカイザーが夕刻に発した電報が、ロシア側に届く。「ロシアの軍事的手段は、オーストリアには脅威とみなされ、我々が避けたいと望んでいる大惨事に陥り、余への貴殿の友情と助力の訴えに基づき、余が喜んで引き受けた調停の役割を危うくするだろう」と電文は締めくくられていた。「大惨事」の責任を負いたくないと考えたツァーは、総動員令を撤回し、部分動員に切り替えることにした。部分動員の命令は、その夜遅くにとりあえず発せられた。

 しかし、優柔不断なツァーは、翌三〇日の朝、ベートマンがサゾノフに伝えた警告と同じような内容が記された、カイザーからの追加の電報に接して気が変わる。ツァーは、オーストリアが動員をしているのにロシアが止めると自国は無防備になるという考えにもとりつかれていた。実際にはオーストリアは総動員に踏み切っていなかった。ツァーがそのように信じた背景には、ロシアの軍事諜報(ちょうほう)分析で、伝統的にオーストリア軍の能力が過大評価されており、とくに先制攻撃で優れていると見られていたからだ。

 開戦後、主要国は自国の正当性を訴えるため色付き表紙の外交文書集を発刊した。その一つであるロシアの『オレンジブック』で、ロシア政府はオーストリアの総動員令を三日早く二八日とし、ロシアに先んじたと捏造した。しかし、実際にはロシアは七月危機の中で最初に総動員をかけた国であることが現在では明らかになっている。さらに口裏を合わせるため、フランスは自国外交文書を載せた『イエローブック』で、でっちあげをしている。

 三〇日午後三時、サゾノフが拝謁した際、ツァーは「疲れ果て心ここにあらず」の様子であった。サゾノフは、「平和を保持する希望は残されていない」という結論を伝える。ツァーは、「参謀総長に余の動員命令を伝えよ」と言った。かくして総動員令は再び承認されて、今度こそ本当に発せられたのである。


『第一次世界大戦史――諷刺画とともに見る指導者たち』
 飯倉 章 著
 中公新書

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

韓国大統領、大規模な兵力投入を拒否 前国防相が弾劾

ワールド

トランプ氏の関税警告、ロ報道官「目新しさなし」 発

ワールド

ウクライナ向け米製兵器は欧州が費用負担、NATO事

ビジネス

TikTok親会社、今年200億ドルの設備投資計画
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:トランプの頭の中
特集:トランプの頭の中
2025年1月28日号(1/21発売)

いよいよ始まる第2次トランプ政権。再任大統領の行動原理と世界観を知る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵を「いとも簡単に」爆撃する残虐映像をウクライナが公開
  • 3
    「バイデン...寝てる?」トランプ就任式で「スリーピー・ジョー」が居眠りか...動画で検証
  • 4
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 5
    欧州だけでも「十分足りる」...トランプがウクライナ…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 8
    日鉄「逆転勝利」のチャンスはここにあり――アメリカ…
  • 9
    【クイズ】長すぎる英単語「Antidisestablishmentari…
  • 10
    トランプ就任で「USスチール買収」はどう動くか...「…
  • 1
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 2
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 3
    戦場に「杖をつく兵士」を送り込むロシア軍...負傷兵を「いとも簡単に」爆撃する残虐映像をウクライナが公開
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 8
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 9
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 10
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命を…
  • 5
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中