大胆で危険なサウジの経済改革
学校給食のようなやり方
マッキンゼーはこの数年、欧米式の経済改革に心酔する若い世代のアラブの王子たちを育ててきたが、その結果はいい点も悪い点も入り交じる。マッキンゼーを辛辣に批判するある人物は最近、こう指摘した。「マッキンゼーの言うことをうのみにした国々の多くでは、アラブの春が起きた。バーレーン、エジプト、リビア、イエメン――どの国もデモ、多くは経済的苦境に駆り立てられたデモに揺さぶられた」
外国政府を改革するというマッキンゼーの取り組みは、危険なほど誤っていた。経済改革に対する学校給食のようなアプローチ――食欲や文化に関係なく、画一的な解決法を用意する――は、それぞれの国の歴史や社会背景を考慮していない。その国の政治構造が国営企業や社会福祉事業の民営化、雇用削減、補助金カット、生活費の上昇などから生じる社会不安に耐えられるかどうかも考えない。
サウジ王族でも年上世代の王子たちは、君主制のもろさを理解している。保守的な聖職者や、自分たちの特権を奪う自由市場改革に反対する商人階級が静止状態でいる限り、君主制を支える柱はその上に立っていられるのだ、と。
ムハンマドはエコノミスト誌のインタビューで、マーガレット・サッチャー元英首相を崇拝していると語った。しかし80年代のイギリスと違い今のサウジアラビアには報道の自由も、選挙によって選ばれた議会も、集会の自由もない。激発しやすい社会のエネルギーを吸収し、外へそらす柔軟な政治構造もない。
ムハンマドは知っているだろうか? こうした社会システムが整っていても、彼の崇拝するサッチャーは国民の支持を失い、辞任することになったのを。
[2016年6月28日号掲載]