いとうせいこう、『国境なき医師団』を見に行く2(イースターのハイチ)
ポール登場
ドライバーは左にハンドルを切り、四駆はなおいっそう大きく揺れて邸内のさらに急な石畳の坂をのぼった。奥の平たい土地に、やはりMSFの文字を胴に赤く塗った四駆が数台止まっていた。その向こうに二階建ての屋敷があった。OCAのハイチ・コーディネーション・オフィスだった。
拍子抜けするほど静かだった。『国境なき医師団』のひとつの拠点はもっと騒がしいものではないのか。俺は狐につままれたような気分で自分の荷物をおろし、目の前の階段をあがって屋敷の中へ入った。
何部屋かあるのがわかった。扉はどこも開け放たれていた。部屋はすべて薄暗かった。無駄遣いするほどの電気もないし、そもそも生活空間をぴかぴか明るくする習慣がハイチにはないとのちのちわかった。スタッフたちにしてもクーラーなど使うつもりははなからないのだった。気持ちのいい乾季であればなおさらのことだ。
大きな白板が壁に貼ってあって、青いマジックインキでひと月分のマス目が書かれており、その日の枠の中に俺と谷口さんの名前がそっけなく書いてあった。しかし誰が来てくれるわけでもない。
しばらくぼんやりしながら入り口にあったソファに座っていると、やがて一人の若干ぽっちゃりした白人男性が半ズボンにTシャツ姿であらわれた。ほとんどスキンヘッドでいかにも清潔そうな人物だった。
「やあ、ようこそ。ヒロコとセイコーだね。話は聞いてるよ。僕はポール。ごきげんいかが?」
彼の英語は聞き取りやすく、きわめて優しげであり、語尾の調子と仕草が女性的だった。細いフレームの丸い眼鏡をかけていて、顎ヒゲの剃り跡が青く、目はつぶらでまつげが長かった。ちょっとトルーマン・カポーティに似ていた。
谷口さんが挨拶をし、僕も握手をかわした。ポールは早口で続きをしゃべった。
「しかし君たちにとって実に残念なことに、この週末までイースターでね。ちょうどみんな休暇をとっている時期なんだ。だからほとんど人がいないんですよ。ただし僕だってゲストの受付は出来るからね。わかるところまでやっておきましょう。そのうち誰か来るだろうと思う」
ポール・ブロックマン。アメリカ人。おそらく僕より四、五才上ではないか。五十代後半で、歴戦の強者だろうことは、そのせっかちで自由なふるまいからもわかった。世界のどこにいてもそういう調子なのだろうと思わせる独特なペースがあるのだ。
なにしろ彼がつまり、OCAハイチ・コーディネーション・オフィスのトップ、産科救急センター、救急・コレラ治療センター、性暴力被害者専門クリニックを統括している重要な人物なのだった。
校長先生の講義1
ポールに細かい手続きをしてもらって食事の話になった。とにかくイースターはハイチにとって大きな祭りで、宿舎に行ってもまかないの昼食がないとのことだった。
いや、機内で食べてきましたからと言うと、「しかし夕食はどうする? ないよ」と答えてポールはどこかへ消えた。
我々は谷口さんの提案で、こちらでちょうど活動をしている看護士の菊地紘子さん(しばらく、「もう一人のヒロコ」とみんなにからかわれることになる。むろん広報の谷口博子さんの方がそう呼ばれることもあって、コーディネーション・オフィスには楽しい混乱が何度かあった)と待ち合わせて、彼女たちにとってあまり機会の多くない外食に出かようということになった。谷口さんはまだ会ったことのない紘子さんに電話をし、約束を取りつけた。
それにしても待ち合わせまで数時間あった。
ならばオフィスにいる他のスタッフにインタビューしてから宿舎へ行こうということになったものの、相手の手があくまでに時間がかかった。
ぽっかりと平和な空白の中にたたずむ我々の目の前に、またまたポールが早足であらわれた。通り過ぎてから少し戻ってくる。
「あ、そういえば、君たち時差ボケはどう? 大丈夫? もし時間があるなら、僕の部屋でも見る?」
この人は突き放した口調で優しい気遣いをする、いわゆるツンデレの典型だった。しかも常にどこか教育的というか、校長先生みたいな感じがあった。滞在中ずっと。懐かしく思い出される人だ。
我々は人種を越えたスタッフがそれぞれの仕事をしているのに出くわしながら幾つかの部屋を突っ切り、ポールの部屋まで行った。屋敷の二階の角部屋だった。
大きな机の横にテニスラケットが立て掛けてあり、ソックスが椅子の背で乾かされていた。
「午前中、コートにいたものでね」
ポール校長はそう言った。
羽田を出る時から谷口さんにアドバイスされていたことのひとつに、"スタッフたちのストレスマネージメントにも是非ご注目下さい"という言葉があった。何ヶ月も、時には一年を越えて現地に入り、病院と宿舎の往復で過ごすことの多い彼らにはそれぞれにレクリエーションが必要になる。
我らが校長にとっては、それが休日のテニスらしかった。
「さて」
ポールの口調が急に厳しくなった。教育が始まるのだな、とわかった。
「六年前の震災直後と違って、我々MSFは他の団体とは異なる働きをすべきだと思う」
「なるほど」
俺は生徒として素早くメモ帳を開いていた。
「ハイチの人々の中に根付いた活動がそれだ。彼らは今ひどく疲弊している。海外から多くの者が来たが、みなハイチ人の写真を撮り、あれこれ約束し、結果何もしないということの繰り返しだ。だから大きな鬱憤がたまっているんだ」
校長は変わらぬ速度で語りを続けた。
「しかし、この鬱憤は今だけのものじゃない。ハイチの歴史を知ればそれがわかる」
そこでいったん言葉が途切れた。
ポール校長は本格的に俺への授業を始めようとしていた。
まず最初に質問が来た。
「セイコー、君はハイチがどういう特異な歴史をたどった国であるか、知ってるかい?」
知らないなどと答えたら、校長は部屋を出ていってしまうかもしれないと思った。何ひとつ知らないで取材に来ている日本人だということになったら。
続く
*前回の訂正。
外務省の海外安全情報の見方を俺はまるでわかっていなかった(一度は見たのに忘れていた)。
伝染病の具合を見ると、青い色で塗られていてまだしも安全だが、下の黄色い地図をクリックしてみるとわかる。そこが治安を示している。
不要不急の渡航を避けるどころの話ではない。
首都ポルトー・プランスには行くな、といまだにはっきり書いてある。
いとうせいこう(作家・クリエーター)
1961年、東京都生まれ。編集者を経て、作家、クリエーターとして、活字・映像・音楽・舞台など、多方面で活躍。著書に『ノーライフキング』『見仏記』(みうらじゅんと共著)『ボタニカル・ライフ』(第15回講談社エッセイ賞受賞)など。『想像ラジオ』『鼻に挟み撃ち』で芥川賞候補に(前者は第35回野間文芸新人賞受賞)。最新刊に長編『我々の恋愛』。テレビでは「ビットワールド」(Eテレ)「オトナの!」(TBS)などにレギュラー出演中。「したまちコメディ映画祭in台東」では総合プロデューサーを務め、浅草、上野を拠点に今年で9回目を迎える。
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。