独裁者のお気に入りだったザハ・ハディド
現代建築界のスターだった天才ハディドには、強権政権の人権侵害に目をつぶってきたという批判も
急死 これからも多くの傑作を生みだすはずだったハディド Andrew Innerarity-REUTERS
2020年開催の東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の元のデザインを担当したことで知られる建築家ザハ・ハディドが、先週65歳で急死した。
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ハディドは、間違いなく世界最高の建築家の1人だ。2004年に建築界のノーベル賞にあたる「プリツカー賞」を女性として初めて受賞。また、現代建築界で活躍する数少ないアラブ出身の建築家でもあった。「女性であることが受け入れられたと思ったら、アラブ人であることが問題にされ始まった気がする」と、2012年の英紙ガーディアンのインタビューに答えている。
ハディドの追悼記事は、彼女の代表作の大胆で幾何学的な造形に注目するはずだ。ロンドンの競泳施設アクアティック・センター、中国・広州のオペラハウス、スコットランド・グラスゴーのリバーサイド・ミュージアムなどがそうだ。
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こうしたハディドの芸術作品は、時代や流行を超越している。いずれを見ても、最高レベルの建築家の作品と言える。ハディドはこれまでも多くの建築を手がけてきたが、生きていれば、今後も間違いなく多くの作品を生み出していたことだろう。
強制退去と強制労働を礎石に?
だが、ハディドに対する評価には常に疑惑もつきまとう。自らが関与するプロジェクトでは強制労働を認めない、といった倫理的基準に無頓着だったのではないかという疑いだ。
ハディドの代表作の1つロンドンの競泳施設アクアティック・センター Toby Melville-REUTERS
2012年、ハディドはアゼルバイジャンの首都バクーで、複合施設「ヘイダル・アリエフ・センター」を完成させた。アリエフは当時の大統領で独裁者。今その後を継いだ独裁者は、息子のイルハム大統領だ。
アリエフ・センターを含めたバクーの「近代化」は、住民の強制退去と強制労働の上に達成されたとみられている。もしハディドがこの問題で苦しんでいたとしても、それを公の場で見せることは遂に一度もなかった。
カダフィ政権下のリビアでのプロジェクト(途中で頓挫)に関わったことに疑義を唱える声もある。中国やロシアでも仕事をしている。人権問題を抱える国々で設計を請け負っている建築家は他にもいるが、ハディドは、他の建築家よりも積極的にそうした事業に関わってきた印象を与える。
白人男性が独占する建築業界で発言力を持ったアラブ系女性として、陰口を叩かれやすい面もあったのだろうか? それもあっただろう。いずれにしてもハディドは、批判を受け続けた。
「ハディドのお気に入りの仕事場は独裁者や暴君の裏庭だ」と、イギリスの保守的な週刊誌「スペクテイター」は2012年の記事で批判している。「建築業界やデザイン業界はいつも、最新のハディド作品を称賛してくれる。強権国家にはおあつらえむきの免罪符だ」