東日本大震災から5年、津波に引き裂かれた被災地の今
津波と原発事故に襲われた住民たちに、かつての平穏な日が戻るのはいつか
3月11日、東日本大震災からきょうで丸5年。M9.0の未曾有の地震が引き起こした大津波は街を飲み込み、1986年のチェルノブイリ事故以来最悪の原発事故を招いた。写真は被災地と犠牲者のための祈りの灯。都内で10日撮影(2016年 ロイター/Issei Kato)
2011年3月11日に発生した東日本大震災からきょうで丸5年。マグニチュード(M)9.0の未曾有の地震が引き起こした大津波は街を飲み込み、1986年のチェルノブイリ事故以来最悪の原発事故を招いた。
震災による死者・行方不明者は約1万8500人、関連死を含めると犠牲者は2万1000人を超える。16万人が住居と生計の手段を失った。
津波により東京電力<9501.T>福島第1原子力発電所の原子炉3基がメルトダウンし、放射能汚染が広がった。原発付近に住む16万人以上が避難を余儀なくされ、その約10%が福島県内の仮設住宅で今でも生活している。
避難した住民の大半は故郷を離れ、新たな生活を始めた。一部の地域は、高い放射線量のため帰還が今なお困難な状況にある。
「ふるさと双葉町を返せ」と書かれたプラカードが10日夜、都内の東電本店前で行われた反原発の抗議デモで掲げられた。他にも安倍晋三首相を批判し、原発廃止を求める人々が集結していた。
約17メートルの津波に見舞われ、市街地全体が飲み込まれた岩手県陸前高田市は人口の7%を失った。
深い悲しみが今でも住民の心を苦しめている。
「いまだに傷が癒えないというのが実情だ。新たな生活をスタートさせるのに苦しんでいる人がまだたくさんいる」と、元市職員の男性(65)は話す。勤務していた4階建ての市役所は津波で大半が水没した。
犠牲者にささげる黙とう
都内で11日開催された政府主催の追悼式には安倍首相や被災者を含めた約1200人が参加。天皇、皇后両陛下もご臨席した。地震が発生した午後2時46分には犠牲者を悼み、全国各地で黙とうがささげられた。
追悼式では、宮城県遺族代表の木村正清さんが、「お父さん、あの日、何度も電話しましたが、出てくれませんでしたね」と語りかけた。「基礎を残し跡形もなくなった土の上に、生前の両親の姿を映し出すかのように、折り重なるようにして見つかった夫婦茶わん。この夫婦茶わんが唯一の形見になってしまった」と語った。