河南省、巨大な毛沢東像建造と撤去――中国人民から見た毛沢東と政府の思惑
「虎の威を借る狐」よろしく、まさに毛沢東の権威に頼って、何とか自分の「紅い皇帝」としての権威を保とうとしているとしか思えない。
こうしてボトムアップだったはずの庶民の「紅いノスタルジー」は政治利用されて、上から「大衆路線教育」という形で、毛沢東時代の思想教育が施されるようになった。
これまで貧富の格差に対する不満から抱いていた「毛沢東への紅いノスタルジー」は、一種の「反政府的ベクトル」を持っていた。
ところが、それが政府によって許可されたとなると、金持ち連が「自分がいかに政府を肯定しているか」を見せようとして、中国全土に「毛沢東像建造熱」を招き始めたという側面も出てきた。
2015年12月26日、山東省寧鄒(すう)城市后八里村に12.26メートルの毛沢東像が建てられ開幕式も盛大に行われた。
建てるための費用は后八里村が集めた資金だという。12.26メートルという高さは、毛沢東の誕生日である「12月26日」にちなんだものだ。
河南省の毛沢東像は取り壊されたのに、なぜ山東省の銅像は取り壊されていないのだろうか?
もちろん中国政府系列のメディアは、「河南省の毛沢東像は建造のための登記審査を受けていなかったから」というものだが、どうもその辺はしっくり来ない。
本当の理由は、「習近平の権威よりも遥かに上に行き、毛沢東への個人崇拝を過度に強調しすぎるのは好ましくない」ということではないかと、筆者には思えるのである。
さもなかったら、何も壊す必要はなく、再登記させて審査を受ければいいだけのことである。繰り返しになるが、罰金でも科せば済んだのではないだろうか。
この辺のさじ加減は微妙だ。
宗教になりつつある共産主義思想
中国の履歴書には「信仰」という項目があり、そこに「共産主義」と書くのが模範解答だ。どんなに「先に富む者が先に富んでも」、現在の中国に存在するのはチャイナ・マネーに対する熱情であって、本当の心の支えになるものは存在しない。モラルなど、どこかに行ってしまった。
さらに、自由と民主が許されない中国においては、心の支えになるものとして、キリスト教徒か仏教といった本当の宗教が水面下で蔓延しつつあるが、それは共産党政権の好むところではない。彼らは共産主義をこそ「信仰の核心」にしてほしいのだ。
そのために「毛沢東を信仰する」ことは歓迎的だ。
しかし、それは「習近平への個人崇拝」を超えてはならないのである。
そしてそれはまた、虐げられた貧困層が、反政府的な象徴として「毛沢東」を位置づけてもならないのである。
「毛沢東」をどのように位置づけるかは、中国にとって実に微妙なコントロールを要する対象である。
それが今回の河南省の毛沢東の取り壊しにあると考えるべきだろう。
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数。近著に『毛沢東 日本軍と共謀した男』(新潮新書)
※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。