ベルギーの若者はなぜテロ組織ISISに魅せられたか
若者の過激化対策として今年モレンベーク区に新たに設立された機関で働くオリビエ・ファンデルハーゲン氏によれば、家族たちはこれまでムスリムの慣習にほとんど関心を持ってこなかった。彼らの息子たちが親族に対して信仰の浅さを非難するようになって初めてその変化に気づく例が多いという。
「そこまで来ると、もう過激化の最終段階に入っている。そのときになってようやく家族が問題に気づくというのがよくあるパターンだ。たいていの場合、ほぼ手遅れだが」と同氏は言う。
アイデンティティの危機
サラ・アブデスラム容疑者、あるいはそれ以外の者がパリと同じような攻撃を新たに仕掛けるのではないかという恐れからブリュッセルが3日にわたり厳戒下に置かれるなかで、こうしたエピソードを通じてモレンベークに注目が集まっている。
ブリュッセル市内において、運河を挟んで貧しい地区に当たるモレンベーク区は、過密と若年層の高失業率に悩まされている。他の都市スラム地域においても、これと同じ問題が治安悪化とゲットー化の原因として指摘されている。
こうした要因に、モロッコ系移民の一部に見られる「自分たちはモロッコにもベルギーにも帰属していない」という意識が重なる。
「ここで見られる過激化は、本質的にはアイデンティティの危機なのだ」と、前出のファンデルハーゲン氏は指摘する。
26歳のサラ・アブデスラム容疑者は、麻薬取引疑惑で閉店したバーを地元で経営していたが、治安当局者によれば、獄中でアバウド容疑者と知り合ったという。両人とも4─5年前に軽窃盗罪で服役している。誰も彼に信仰心があるなどとは思っていなかった。
だが、サラの兄モハメド氏が22日にベルギーのテレビで語ったところによれば、今年初めにサラともう1人の弟ブラヒムが礼拝を始め、パーティなどでもアルコールを口にしなくなったことに気づいたという。
サラが経営していたバーのオーナーだったブラヒムは、パリのカフェ「コントワール・ヴォルテール」外部で自爆した。
アブデスラム兄弟は、大半の隣人たちと同様、1960年代に労働力不足を補うためにベルギーが大量に呼び寄せたモロッコ系移民の子孫である。
「街の言葉」話せる徴募員
Habbachich氏によれば、サラは子どもの頃モレンベークにあるモスクに通っていたが、その後、行かなくなってしまったという。一部のイスラム教指導者はあまりにも伝統志向であり、若者が日々直面する困難に向き合えないと同氏は語る。モレンベーク区内の指導者のうち、フランス語を話せるのも2人に1人の割合でしかない。