毛沢東は抗日戦勝記念を祝ったことがない
●1955年~59年:抗日戦勝に関しては一切触れていない。もちろん国内行事はゼロ!
このように1950年代、中ソ対立が生まれる1955年までは、ただ単にソ連に祝電(謝意)を送っているだけである。つまり、「抗日戦争はソ連のお蔭で勝利した」という位置づけをしていることが分かる。
1960年以降~毛沢東逝去(1976年9月9日)まで
●1960年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし、9月1日にメキシコ代表と対談し「日本人民は素晴らしい人民だ。第二次世界大戦では一部の軍国主義者に騙されて侵略戦争をしただけだ。戦後はアメリカ帝国主義に侵略され、日本にアメリカ軍の基地を作っている。アメリカ侵略国家は台湾にも軍事基地を置き、我が国を侵略しているのは許せないことだ」という趣旨のことを語っている。
●1961年~1969年:抗日戦勝行事は一切なし。ただし1965年から、10年ごとに記念切手を出している。
●1970年~1976年:抗日戦勝行事は一切なし。
ただし、1972年9月には、日本の田中角栄元首相の訪中と日中国交正常化に関する記述に多くのページが割かれ、日本を讃えている。
国交正常化したからと言って、突然、そのあとに対日強硬路線を取る傾向は皆無で、日本に対して非常に友好的だ。
以上見てきたように、現在の中国(中華人民共和国)を建国した毛沢東は、中国とは、「中共軍が日本軍を打倒して誕生した国」だとは思っていない。中国国内における抗日戦勝は主として国民党軍がもたらしたものと知っている。自分自身が戦ってきたのだから、完全に分かっている。
もし、抗日戦勝日を祝えば、まるで「国民党を讃える」ということになってしまう。
それを避けるためにも、毛沢東は抗日戦勝記念日を祝おうとはしなかったのである。
そして中国とは、国民党軍を倒して誕生した国であると認識しているので、建国記念日である国慶節(10月1日)は、毎年盛大に祝っている。正常な感覚だ。
8月10日付の本コラム戦後70年有識者報告書、中国関係部分は認識不足に書いたように、安倍談話に向けた日本の有識者懇談会が出した報告書の4の「(1)中国との和解の70年」の「ア 終戦から国交正常化まで」には、とんでもない間違いが書いてあった。その文言は「一方、中華人民共和国に目を向けると、1950年代半ばに共産党一党独裁が確立され、共産党は日本に厳しい歴史教育、いわゆる抗日教育を行うようになった」というものだが、これがいかに間違っているかは、今回のコラムをお目通し頂ければ一目瞭然だろう。
日本の「有識者」は、最近の中国の現象から過去を推測しているのだろうか、あるいは中共の宣伝に洗脳されてしまっているのだろうか。
毛沢東は「日本に厳しい歴史教育や反日教育」などしていないどころか、抗日戦勝記念日さえ無視してきたのである。
問題は、それに比べた現在の中国、特に習近平政権の「抗日戦勝と反ファシスト戦勝70周年記念」に対する、あまりの熱狂ぶりだ。
抗日戦争勝利の日から遠ざかれば遠ざかるほど熱狂的になり、なりふりをかまわず歴史を歪めている。
※関連記事「抗日戦勝記念式典は、いつから強化されたのか?」はこちら
[執筆者]
遠藤 誉
1941年中国生まれ。中国革命戦を経験し1953年に日本帰国。東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士。中国社会科学院社会科学研究所客員研究員・教授などを歴任。『チャイナ・セブン <紅い皇帝>習近平』『チャイナ・ナイン 中国を動かす9人の男たち』『ネット大国中国 言論をめぐる攻防』など著書多数