ウクライナ紛争の勝者はどこに?(前編)
国民の大半は楽観的だが
ウクライナ東部のドネツク州とルガンスク州の一部地域では「人民共和国」の建国が宣言され、ロシアの正規軍と地対空ミサイルが配備された。
数十万人のデモ隊と警察が対峙した時期のキエフはまるで戦場だった。7月にはマレーシア航空機が親ロシア派に撃墜され、298人が犠牲になった。この内戦全体の死者は、既に4000人を超えている。
その結果、2つの重大な変化が起きた。まずはウクライナの自立だ。ソ連から独立して23年、ウクライナはどっちつかずの立場にいた。隣国ポーランドのようにヨーロッパ的な法治国家になって商売に励むのか、ベラルーシやカザフスタンのように国民を搾取する独裁国になり、よみがえったロシア帝国に加わるのか。どちらも選ぶことができずにいた。
この選択に答えを出したのはロシアのウラジーミル・プーチン大統領だ。ロシア語圏のクリミア、ドネツク、ルガンスクが実質的に離脱したウクライナに、もはや親ロシアの政権が復活する可能性はない。10月末の総選挙では親欧米の政党が圧勝した。EUとNATO(北大西洋条約機構)はロシアへの制裁とウクライナへの経済的・軍事的支援で(少なくとも今のところは)足並みをそろえている。
東部で続く戦闘。経済不振。武装した「愛国的民兵団」を組織する国粋主義者たち──ウクライナが抱える問題の複雑さを思うと、ユーゴスラビアの二の舞いかという思いがよぎる。しかし大半の国民は希望を失っていない。
「私たちの真の姿が分かった。偽りの姿も」と言ったのは若い歌手のルスラナ・ハジポワ。「私たちは自由になった。もうロシアの手下じゃない」
もう1つの変化はより深刻なもので、世界的な惨事につながる可能性をはらんでいる。ロシアがウクライナ危機によって根本的に変化したという事実だ。ロシアはわずか数カ月で、冷戦時よりさらに邪悪な姿に戻ってしまった。
ハリー・ポッターを愛した兵士を後に、私たちの車は農業地帯を抜けて走った。ドン川の流域は豊かな穀倉地帯だ。
次の検問所はドネツク人民共和国の「独立」を声高に主張していた。黒、青、赤の3色をあしらった国旗は、帝政ロシアが革命で崩壊した1918年に独立を宣言したつかの間のドネツク・クリボログ共和国の旗にちなんでいる。