シリア軍事介入の理想と現実
オバマ政権に軍事作戦を要求する声が強まっているがシリアの内情や地域の安定を考えれば後方支援のほうが得策だ
吹き飛んだ暮らし 政府軍の空爆で破壊された民家で呆然とする男性(8月15日、北部の都市アザーズで) Goran Tomasevic-Reuters
理性と人道主義の国際政治を信奉する識者の間から、悲鳴にも似た叫び声が上がっている。アメリカと同盟国は一刻も早くシリアへの直接的な軍事介入に踏み切るべきだ、と。
善意はよく分かる。だが本格的な軍事介入は、「報われない冒険」のように思える。イギリスの詩人ラドヤード・キプリングは、それを「平和のための野蛮なる戦い」と呼んだ。
シリアの惨状を目にすれば、誰もが流血を食い止めたいと思う。紛争の拡大を望む者は欧米にもイスラエルにもいない。
それを考えれば、バシャル・アサド大統領の政権をもっと早く、少ない犠牲で倒せるという主張は傾聴に値する。だが同時に、彼らの主張がほとんど採用されない理由も理解できる。そして欧米諸国が秘密裏に進めている現在の政策が、ほとんど評価されない理由も。
ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストで03年のイラク侵攻に反対したニコラス・D・クリストフは先日、米軍の限定的な軍事介入を支持すると表明した。このコラムでクリストフは、クリントン政権の2人の高官、ウィリアム・ペリー元国防長官とマデレン・オルブライト元国務長官の話を引用している。
それによると、ペリーは飛行禁止空域と車両通行禁止地域の設定を示唆した。オルブライトは介入とより積極的な関与を支持するが、地上部隊の派遣には反対だと述べた。
ただし、2人が仕えたクリントン政権の介入は、成功と失敗にはっきりと二分される。混沌状態だったハイチへの軍事侵攻は、短期的には成功だった。99年にはコソボ紛争で、欧米の航空戦力と現地勢力のゲリラ戦を組み合わせ、その後の軍事介入のモデルケースとなった。
だがルワンダでは、数十万人が虐殺されてもアメリカは動かなかった。ソマリアは放棄した。ボスニア紛争では、セルビア優位の戦局を覆すためにアメリカが介入したのは紛争勃発の3年後だった。サダム・フセイン時代のイラクに対しては、空爆やクーデター計画を何度も仕掛け、10年以上も北部と南部に飛行禁止空域を維持したが、フセイン政権を倒せなかった。
「中東大戦」のリスクも
民間人の識者と違い、責任ある政府は現実によって政策の選択肢を制限されている。リビアへの介入が可能だったのは、軍事面の障害があまりなかったからだ。大半の戦場は海岸に近い1本の幹線道路沿いに集中していた上に、リビア政府軍と傭兵部隊は組織化されているとは言い難く、防空網も強力ではなかった。それでも、ムアマル・カダフィ大佐を打倒するまでに何カ月もかかった。
現在のシリア危機に対し、オバマ政権と同盟国の政府が慎重な姿勢を崩さないのには理由がある。まず、アメリカの国民とNATO(北大西洋条約機構)の内部には、イスラム圏への軍事介入は「もうたくさんだ」という空気がある。たとえ今年が大統領選挙の年ではなかったとしても、大規模な介入は困難だったはずだ。
また、アサド政権やそれを支持するイランが、政権基盤の弱いレバノンやヨルダン、イラクで反政府側を支援する勢力に対する報復を開始すれば、紛争はもっと急速に、もっと広範囲に拡大する恐れが十分にある。