米大使が見たスパイ映画並みの中国政治
ムチよりアメがロック流
駆け込みの6日後、陳は大使館を出て、治療のために北京の病院に入院した。陳が中国にとどまる意欲をなくしたのは、このときだった。米政府関係者と切り離されて、中国の私服警官に囲まれてみると、自分と家族の安全が心配になったのだ。本誌記者への電話では、「ヒラリー・クリントンの飛行機」でアメリカに行きたいと、涙ながらに訴えた。
アメリカ側は対応に苦慮した。米政府は、陳の一件で中国政府にあまり強い姿勢で臨みたくなかった。ある米政府関係者は、ニューヨーク・タイムズ紙にこう述べている。「1人の男のために、国と国の関係をぶち壊す時代は、もう終わった」
こういう発想には、もちろん批判もある。プリンストン大学のペリー・リンク名誉教授(東アジア研究)は、ニューヨーク・タイムズに反論の投稿をし、「重大な思い違い」に警告を発した。
「陳光誠は、中国で人権蹂躙と闘うために立ち上がったほかの人々と同じく、単なる『1人の男』ではない」と、リンクは書いている。「陳氏の人権擁護活動は、中国国内で極めて多くの支持者を獲得している。ドラマチックな脱出劇をきっかけに、支持者の数はさらに何百倍にも膨らんだ」
米中戦略・経済対話が始まって最初の2日間、クリントンは陳の問題を持ち出さなかったが、ついにこの問題に言及すると、中国側は激しく反発した。それでも、厳しいやりとりの末、陳一家の出国が認められた。ロックとロバート・ワン首席公使が陳と話し合い、カート・キャンベル国務次官補が中国側との折衝に当たった。陳と妻、2人の子供は5月19日、ニューヨークに向けて旅立った。
陳の友人でもあるニューヨーク大学法科大学院のジェローム・コーエン教授(中国法)は、ロックの対応を高く評価する。「ロックは肩書だけの人間ではない。非常に誠実だ」
ロックは、人を動かす手段として、明らかにムチよりアメを好むタイプの人間だ。「ロックはいつも双方にメリットがある解決策を探る」と、コーエンは指摘する。「相手に何も与えず、一方的に打ち負かしてしまえば、もう二度と協力は得られなくなる」
ただし、ロックのような楽観主義的アプローチだけで十分なのか疑問視する人もいる。テキサス州に本部を置くキリスト教系人権擁護団体チャイナエイドのボブ・フー会長もその1人だ。フーは、陳光誠をはじめとする中国人活動家と緊密に連絡を取り合っている。
「ロック大使は強い勇気と度胸の持ち主だが」と、フーは言う。「今回の緊急の協議で解決されたのは、1つの事件だけだ。中国政府のやり方がこれで変わるわけではない」。陳の一族や支持者に中国当局が報復する恐れもあると、フーは不安を口にする。