遺跡ナショナリズムの正論と暴論
しかし、オスマン帝国の衰退期に輸出されたものを中心に、権利の所在が明確でなく、政治問題化しているケースもある。
例えば3500年前のスフィンクス。トルコ中部のボアズキョイ(古代ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ)の遺跡で、ドイツの考古学者たちが発掘したものだ。スフィンクスは2体あり、いずれも1917年に修復作業のためにドイツに送られた。
1体は1924年にトルコに返却されたが、もう1体はドイツにとどめることにトルコ側が同意したものと、ドイツ側は認識。ベルリンのペルガモン博物館が所蔵してきた。
トルコ側は特にここ10年ほど、このスフィンクスの返還を強く求めていたが、双方とも主張を裏付ける文書は持っていない。状況が動いたのは昨年のこと。トルコ政府がドイツ考古学研究所(DAI)の発掘許可を停止する可能性をちらつかせたのだ。この脅しは重く、ドイツ政府が要求に屈し、昨年11月にスフィンクスは返還された。
国外に流出した古代遺物の奪還には非常に熱心なトルコ政府だが、国内の遺物や遺跡を盗掘や開発から守ることにはそれほど力を注いでいない。
DAIのトルコ部門責任者のフェリックス・ピルソンはこう嘆く。「盗掘者たちは、掘削機を使って墓所の盛り土を掘り返す。60年代に盗掘された墓所の壁まで、大型ハンマーで打ち壊す。壁の裏側にまだ黄金が隠してあるのではないかというばかげた期待を抱いて、そういう行動に走る」
盗掘者たちは、組織化されていて、整然と行動する。おそらく、地域コミュニティーと密接に結び付いているのだろう。逮捕されることはめったにない。
トルコ政府が遺跡を破壊
トルコ政府は巨額の予算を投じたダム建設事業のために、いくつかの極めて重要な遺跡をいとも簡単に破壊してきた。ペルガモン遺跡の近くにあるアリアノイ遺跡もその1つだ。世界で最も保存状態が良好だった古代ローマ時代の浴場遺跡が、ダムの底に沈んだ。
レジェップ・タイップ・エルドアン首相はヘラクレス像の返還を執拗に求める半面、昨年、ビザンチン帝国時代の港があったイェニカプ遺跡(イスタンブール)の発掘作業打ち切りをあっさり決めた。ボスポラス海峡トンネルの建設を早く進めるためだ。これにより、遺跡は永久に失われてしまう。
皮肉なのは、トルコ自身も19世紀末に巨大な国立考古学博物館を造った際に、オスマン帝国支配下の各地から多くの遺物をかき集めたという事実だ。その中には、レバノンで出土した「アレクサンダー大王の石棺」やエジプトの数多くの彫像なども含まれる。
「遺物や芸術品を元の所在地とされる場所にすべて戻すべきだと言い始めると、たちまちばかげた結論に行き着く」と、あるヨーロッパの文化関係官庁の官僚は言う(匿名を希望)。
「例えば『モナリザ』は(パリのルーブル美術館から)イタリアに返還すべきなのか。(イスタンブールの)古代競馬場に移設されたオベリスクは、もともとそれがあったエジプトに戻すべきなのか。こういう主張をすると、世界の素晴らしい博物館が空っぽになってしまう」
トルコには、世界レベルの貴重な遺跡がたくさんあるが、その多くは残念なことに十分な保護・管理がされていない。トルコ政府は、大昔に国外に流出した遺物を取り戻すことに血道を上げるより、いま国内にある遺物の保護・管理にエネルギーを注いだほうがいい。
[2012年6月 6日号掲載]