漁船を悪用する中国の狡猾
民間船を使って領有権を争う隣国を挑発する中国政府と人民解放軍の抜け目なき拡大戦略
本当に漁船? 南シナ海のスカボロー礁をめぐる中国とフィリピンの対立のきっかけは中国漁船 Reuters
「歴史は繰り返す」とはこのことだろう。かつてソ連軍がそうしたのと同じように、中国は今日でも海洋戦略の手段として漁船を利用している。台北在住のジャーナリスト、イェンス・カストナーがオンライン紙のアジア・タイムズで5月に報じたように、中国が領有権を争う海域に出漁する中国漁船は、政府から何らかの補償を受けている可能性がある。
似たような話は、冷戦時代に現役だった米海軍の将兵なら、誰でも聞いたことがある。当時はどんな特殊部隊も、ソ連の情報収集艦(AGI)の動きをチェックしなければアメリカの軍港を出港できなかった。AGIは高速航行できるよう改造された漁船で、米海軍の船隊が米領海を出た直後から追尾を始めた。
AGIは漁の傍ら敵艦船の動きを追跡し、通信情報を傍受し、米海軍の海上での軍事行動の戦術を監視した。世界を見渡しても、こうした活動に民間の漁船を使う国は多くない。
海軍の艦隊や海兵隊員だけでは足らず、民間の船舶や船員まで使う──。海洋戦略はもはや公共、民間を問わず、政府が使える手段をすべて使って権益拡大を図る総力戦と化している。
AGIは海上での監視や通信傍受といった防諜的な活動が主体だったが、中国漁船はもっと積極的な任務を持たされ、軍事行動に出ることもある。機雷の設置や除去はその一例だ。中国と海洋上の権益を争う周辺国に対して、「限定的な対立」をあおる手段としても使われる。
アジア・タイムズは、この中国政府の戦略をアジアの海を都合の良いときにかき回せる「小枝」に例えた。周辺国と領有権を争う領土や領海について国内世論を喚起したいとき、内政に対する国民の不満をかわしたいとき、台湾に圧力をかけたいときなどにこの小枝が使われる。
日本やフィリピンのように中国との間で領有権争いを抱える国は特に「限定的な対立」の標的となる。一昨年に尖閣諸島をめぐって日中が批判合戦を繰り広げたのも中国漁船がきっかけだった。現在フィリピンが実効支配する南シナ海のスカボロー礁(中国名・黄岩島)をめぐって中国とフィリピンがにらみ合いを続けているが、その先陣に立っているのは中国の漁民だ。
中国政府がこうした漁船の行動に直接指示を出しているのかは定かではない。恐らく意図的な指示が出ていることもあれば、偶然の衝突事故などに乗じるケースもあるのだろう。明らかなのは、中国政府が漁船に紛争海域での操業を奨励しており、問題が生じれば政府が乗り出していく、ということだ。
周辺国には敗北しかない
周辺国の沿岸警備隊や海軍が中国漁船を追い払おうとしたら、中国政府が行動を起こすためのもっともな理由になる。一昨年の尖閣諸島をめぐる対立のように、外交的に介入することもできるし、スカボロー礁のように、漁民保護のために国家海洋局の巡視船を派遣することもできる。
大砲のない「砲艦外交」とも呼べるだろう。少なくとも目に見える武力は誇示していない。人民解放軍は姿を見せずに待機しているだけだ。特にフィリピンのように相手国の軍事力が中国のそれより圧倒的に劣る場合は、姿を見せない海軍が大きな抑止力として働いている。フィリピンが中国の軍事力を無視して危険な賭けに出るとは思えないからだ。